2023.10.01 08:46
当初は「残酷」と批判―アンパンマン誕生50年(1)
やなせたかしさんが描き下ろしたアンパンマンの絵本(東京都文京区のフレーベル館)
やなせさんが2013年、94歳で亡くなった後も絵本は出版され続け、タイトルは200以上、発行部数は8千万部を超えます。絵本を出版するフレーベル館(東京)のアンパンマン室長、宮本麻未さん(41)は「絵本には友情や自然環境を守ることの大切さ、やなせさんのメッセージが込められ、どんな時も寄り添ってくれる内容です」。
【この連載のまとめはこちら】
アニメも愛され35年―アンパンマン誕生50年(2)
面影重なる戦死の弟―アンパンマン誕生50年(3)
やなせたかしさん 故郷・高知を元気づけ―アンパンマン誕生50年(4)
やなせたかしさん、命を懸けて喜ばせる―アンパンマン誕生50年(5)
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やなせさんは高知市の城東中学(今の追手前高校)を卒業後、東京の大学でデザインを学び、製薬会社の宣伝部で働き、軍隊として中国へ渡ります。終戦後は高知新聞の記者になりましたが1年で辞め、28歳で東京へ。デパート「三越」のデザイナーを経て34歳で独り立ちしました。漫画家、作詞家、テレビやラジオの脚本家と忙しくしている頃、フレーベル館から「子ども向けの絵本を書いてほしい」と頼まれ、「あんぱんまん」が生まれました。それが1973年10月、今から50年前のことです。
その4年前、やなせさんは戦地であんパンを配る太ったおじさんが主人公の童話を書いていました。そのアイデアを基に、砂漠の真ん中で飢えた人や道に迷った子どもに顔を食べさせ、顔がなくなってしまうヒーローを描きました。
当時、ヒーローと言えばウルトラマンや仮面ライダー。やなせさんは、かっこよくないヒーローが主役の物語に不安がありました。「あんぱんまんを子どもたちは、好きになってくれるでしょうか。それとも、やはり、テレビの人気者のほうがいいですか」。そう後書きに寄せました。
ただ、やなせさんは、よくあるヒーローの描き方に疑問を感じていました。「相手をとことんたたきのめして、森や町を破壊して、それで勝つのが本当の正義なのか」「正義の味方なら、まず飢えている人を助けるべき」。戦争の経験もあって、そう考えていたのです。
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かじられて首から上がない姿に、最初は「残酷だ」の批判の声もありました。しかし5年ほどたった頃、自宅近くのカメラ店の店主がやなせさんに言いました。「うちの坊主が、あんぱんまんが大好きでね。読んでくれって、毎晩せがむんだよ」。…