2024年 05月03日(金)

現在
6時間後

こんにちはゲスト様

2023.09.06 11:41

渋谷を探索する寿恵子 牧野富太郎も渋谷を転々、妻は荒木山で店を開業【朝ドラらんまん】

SHARE

©️NHK

©️NHK


 朝ドラ「らんまん」の寿恵子(浜辺美波)が初めて渋谷を訪れました。当時の渋谷は農村が広がる「田舎」でした。通りに立ち並ぶ店も洗練されたものではなく、ごみごみとしたものでした。しかし寿恵子は、そんな風景の中にあって人情もあふれている渋谷の町を気に入り、そして可能性を感じます。

「らんまん」をもっと深く、もっと楽しく! 牧野富太郎博士の特設サイトはこちら!

 ドラマのモデルとなっている牧野富太郎も、渋谷で引っ越しを繰り返しています。大正8(1919)年、牧野一家は小石川区戸崎町(現在の文京区)から、渋谷町渋谷(渋谷区)に転居しました。それから7年の間に、渋谷駅周辺など3回の引っ越しをしたことが分かっています。

 東京帝国大学近くに住んでいた頃も、牧野博士は引っ越しを繰り返していました。その理由は借金によって家賃を払うことができず、借家をたびたび追い出されていたのです。

 妻の寿衛は渋谷の荒木山で一軒の家を3円で借りて、実家の別姓にちなんで「いまむら」という「待合」を開業しました。「待合」とは飲食を提供する貸席業でした。

 妻が経営する「待合」は繁盛もしたそうですが、大学の先生の妻がそのような店を経営するのはけしからんと批判を受けることもあったそうです。

 そうした批判に対して「牧野富太郎自叙伝」の中で、こんなふうに書いています。

 「私たちには全く疚(やま)しい気持ちはなかった。金に困ったことのない人たちは直ぐにもそんなことをいって他人の行動にケチをつけたがるが、私たちは何としてでも金を得て行かなければ生活がやってゆけなく全く生命の問題であったのです」

 そして大正12(1923)年9月1日、関東大震災が起こります。牧野一家は渋谷で生活をしていました。幸いに大きな被害はありませんでした。しかし牧野富太郎は自ら所蔵している膨大な植物標本を守るため、渋谷からさらに東京郊外へ移り住むことを決意します。標本の焼失を恐れたのです。(竹内 一)

【こちらもどうぞ!】らんまん脚本家、長田育恵さんがドラマへの思いを語る音声コンテンツです。


■クリック!牧野富太郎の生涯をたどった高知新聞連載記事をまとめた「MAKINO-生誕160年牧野富太郎を歩く」が出版されています。
■もっと深く、もっと楽しく! 牧野富太郎博士の特設サイトはこちら!

高知のニュース

注目の記事

アクセスランキング

  • 24時間

  • 1週間

  • 1ヶ月