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2023.08.22 08:35

「人間同士 何と残酷な」 今成河原で牧野が見た「膏取り一揆」で斬首〈1872年1月7日〉―そして某年某日(32)

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さまざまな人や風景の「ある日」「そのとき」を巡るドラマや物語を紹介します。

雨に煙る「今成河原」。打ち首の日は雪が舞っていた(越知町今成=河本真澄撮影)

雨に煙る「今成河原」。打ち首の日は雪が舞っていた(越知町今成=河本真澄撮影)


 老境に入った牧野富太郎が、来し方を振り返った自叙伝(1956年)にこんな一節がある。

 「私が七歳位の時であったと思うが、私の町から四里ほど北の方の野老山と云う村で一揆が起った。(中略)遂にその首魁者三人程を逮捕し、隣村の越知の今成河原で斬首に処したのであった。この日は何んでも非常に寒くて雪が降っていたが、私は見物に行く人の後に附いて二里余りもある同処に見に行った事を覚えている」

 幼い牧野に強烈な記憶を残したのは、県中西部山間の農民たちが蜂起した「膏(あぶら)取り一揆」。首謀者として捕らえられた5人が「斬首梟首(きゅうしゅ)」(打ち首の上さらし首)となり、自害した一人も「梟首」された。今成河原では1872(明治5)年1月5、7日の2日間で計4人を処刑。土佐で最後の公開による打ち首が、これらしい。牧野は11歳。「七歳」はおそらく記憶違いだ。

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