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2023.08.09 08:33

スーパー出店追い風に 「ミレーは看板商品じゃなかった」―豆屋100年 野村2代の物語(中)

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終戦直後から使われている落花生のいり機を前に、歴史を振り返る野村純司社長=左=と有弘専務(高知市大津乙)

終戦直後から使われている落花生のいり機を前に、歴史を振り返る野村純司社長=左=と有弘専務(高知市大津乙)

 野村煎豆加工店の野村有弘専務(79)は、創業者の父、重政さんの苦境を助けようと1964年ごろ、東京から高知に戻った。家業は悪化し、食品工業団地(高知市大津乙)への工場移転という投資も重なっていた。東京で菓子や食品卸問屋に勤めており、親類から立て直しを託された。

 「弟の僕が帰っちゅうのに、君が帰らんということはなかろう? 兄弟一緒にやって、それでもいかなぁつぶれたらどうな」

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