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2023.08.02 07:00

【名作文学と音楽(13)】オルペウスをめぐる名曲あまた 八つ裂きにされた竪琴の名手

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 アンネ・ソフィー・フォン・オッターがオルフェ役を歌ったグルック作曲『オルフェとユリディス』

 ギリシア神話の中の有名な話に、竪琴と歌の名手オルペウスが、急死した妻エウリュディケを冥府から連れ戻そうとするくだりがある。古来しばしば文学・美術・音楽の題材になってきた。そのうちの一つが、グルックのオペラ――オリジナルのイタリア語版(1762年)では『オルフェオとエウリディーチェ』、フランス語版(1774年、1859年)では『オルフェとユリディス』――である。


 オルフェオ/オルフェの役は、男性(去勢歌手を含む)が歌うことも、女性が歌うこともあった。ツルゲーネフとの関係で前回、何度も名前が出てきたポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドの最大の当たり役であり、1886年版はベルリオーズが彼女のために再編したものだった。第2幕の『精霊の踊り』はフルートやヴァイオリンの独奏曲としても親しまれている。


 神話をおさらいしておこう。エウリュディケは、彼女に懸想する蜜蜂飼いに襲われそうになって逃げる際、蛇に咬まれて命を落とす。オルペウスは黄泉の国に下り、冥王と王妃から妻を連れ帰る許しを得たものの、そこには一つ条件がついていた。地上へ出るまで、エウリュディケの顔を見てはならないのである。約束を守り通すまであと少しという時、オルペウスは不覚にも後ろを振り向いてしまった。その瞬間、彼女の姿は消えた。茫然自失し、打ちひしがれるオルペウス。しかし彼は諦めずに再び冥府へ戻って行く…。


 グルックのオペラはこのあと、愛の神が夫婦を再び結び合わせ、ハッピーエンドで締めくくられる。しかし、神話の方には凄惨な続きがある。異説だらけで筋を追いにくいが、オウィディウスの『変身物語』(岩波文庫 中村善也訳)、シャーデヴァルトの『星のギリシア神話』(白水社 河原忠彦訳)ほか何冊かのあちこちを、私が適当につなぎ合わせてみたのが、以下の要約。


 オルペウスは三途の川で追い返され、地上に戻って7カ月泣き続けた。近づいてくる女性はたくさんいたが、決して目をくれず、一人の美少年と親しんだ。相手にされず気を悪くした彼女たちは、ディオニソスの祭礼の日、酒に酔った勢いでオルペウスを殺す。彼の体を八つ裂きにし、野原にばらまいた。凶器は石つぶてに始まり、つるはし、鎌、鉄鎚…。一説に、下手人はディオニソスの命を受けた巫女たちだともいう。


 ああ、なんということか! ただし救いもある。彼の頭部と竪琴は川を流れ、海へ出てレスボス島に流れ着いた。島人は彼の死を悼んで墓を築き、竪琴は天に昇って「こと座」になった。竪琴と一体になったオルペウスの顔は画家の創作意欲を刺激し、ギュスターヴ・モロー、オディロン・ルドン、ジャン・デルヴィルらの幻想的な絵の中に姿をとどめている。


 次の話へ進む前に、竪琴について少し補足したい。多くの場合、発明者はヘルメスだとされていて、高津春繁の『ギリシア・ローマ神話辞典』(岩波書店)と呉茂一の『ギリシア神話』(新潮社)を総合すると、この早熟な神は、生まれた当日に亀を殺して食べ、残った甲羅を利用して楽器を作った。兄アポロンから盗んだ牛の腸の筋を7本張り、バチ(ギターのピックのようなものか?)を用いて巧みに弾いたという。ブルフィンチの『ギリシア・ローマ神話』(岩波文庫 野上弥生子訳)には、甲羅の両端に穴を空け、亜麻糸を9本通したと書いてある。弦の数は、芸術の女神ムーサ(英語ではミューズ)が9人なのに合わせたらしい。


 製法のさらに詳しい説明が『ヘルメース讃歌』という詩(ちくま学芸文庫の『ホメーロスの諸神讃歌』所収 沓掛良彦訳)の中にある。「葦の茎をそれぞれ程よい長さに切ると、亀の甲羅を差し貫いてしっかり取りつけた。その上から巧みをこらして牛の皮を張りまわし、腕木を造りつけ、横木を渡して固くとめ、よく鳴り響く羊腸の弦を七本そろえて張った」。絵画で目にする古代ギリシアの竪琴のように、亀の甲羅と牛の皮で作った共鳴胴の上に2本の腕木を立てて横木を差し渡し、横木と共鳴胴との間に弦を張ったのだろう。この竪琴がヘルメスからアポロンに譲られ、アポロンは息子オルペウスに与え、最後は夜空に輝くことになったのである。


 さきほど「次の話」と言ったのは、冥府下りの物語を徹底的にパロディ化したオッフェンバックの喜歌劇『地獄のオルフェ』(1858年)のこと。邦題が『天国と地獄』だと聞けば、フレンチ・カンカンのダンスに使われる『地獄のギャロップ』が頭の中で鳴り出すだろう。「カステラ1番、電話は2番~」のCMソングや運動会の定番BGMと言えばもっと分かりやすいかもしれない。


 こちらのオルフェとユリディスは、神話の熱愛カップルとは大違い。ユリディスはオルフェにも、彼の弾くヴァイオリンにも愛想をつかし、このまま一緒に暮らすくらいなら死んだ方がマシだと思っている。彼女は蜜蜂飼い(実は地獄の支配者プリュトン)といい仲である。麦畑で蛇に咬まれ、プリュトンに黄泉の国へ連れて行かれるが、それは彼女の望むところ。結婚生活に飽き飽きしているオルフェも喜ぶが、世論(そう言う名前の登場人物)の圧力を受けて、心ならずも妻を返してくれと神々に頼みに行く。


 以降のストーリーは省くが、オッフェンバックは第1幕のフィナーレで、グルックの名アリア『ユリディスを失って』をコミカルに引用した。また、サン=サーンスは『地獄のギャロップ』を『動物の謝肉祭』の中の曲『亀』に持ち込み、非常に遅いテンポに変えてしまった。神をも恐れぬ(?)悪ふざけの連鎖である。


 さて、実はオルフェと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、グルックやオッフェンバックの音楽ではなく、カンヌ国際映画祭で最高賞を受けた『黒いオルフェ』(1959年)と、主題歌の『カーニヴァルの朝』ではないだろうか。映画の舞台はギリシアの神話世界からリオ・デ・ジャネイロに移し替えられている。市電の運転手でギター弾きのオルフェウには婚約者がいるが、従姉を訪ねて田舎から出て来たユリディスと出会って恋に落ちた。カーニヴァルの熱狂を背景にしたラヴ・ストーリーは、神話の筋を所々で拾い上げる。ユリディスは不気味な仮面をつけた男に追い回されて事故死し、彼女の遺体を抱いて帰るオルフェウは、嫉妬に狂った婚約者たちによって殺された。


『黒いオルフェ』には原作の戯曲『オルフェウ・ダ・コンセイサォン』(1956年)があるので、そちらも紹介しておこう。作者ヴィニシウス・ヂ・モライスと音楽担当のアントニオ・カルロス・ジョビンは、後にボサノヴァの名曲『イパネマの娘』『想いあふれて』『おいしい水』などを作詞家・作曲家として世に出すことになる名コンビ。二人が一緒に仕事をしたのはこの舞台が最初だった。


 以下、松籟社刊の福嶋伸洋訳に従って粗筋を述べる。舞台はリオの丘。登場人物はギター弾き語りの名手オルフェウ、父のアポロ、恋人のユリディスなど。アポロンからオルペウスに竪琴が受け継がれたように、アポロはオルフェウにギターを買ってやり、弾き方も教えた。オルフェウの恋人ユリディスが蜜蜂飼いに殺され、オルフェウが彼女の行方を捜してクラブ<冥府の悪魔たち>のパーティーに入り込んでいくところ、オルフェウが酒に酔った女たちにナイフやカミソリで殺されるところも神話を踏襲する。合唱隊が「生まれて生きたあらゆるものは死ぬ/この世界で死なないのはただ、オルフェウの声だけ」と朗唱してフィナーレとなる。


 1957年に初演されたテネシー・ウィリアムズの戯曲『地獄のオルフェウス』(ハヤカワ演劇文庫 広田敦郎訳、原題はOrpheus Descending)もまた、同じ神話に源を発する。ただし、主人公の名前はオルフェウスではなくヴァル。ギターを抱えた流れ者のミュージシャンだが、アメリカ南部の田舎町で服地雑貨店に雇われた。店主は病身で、妻のレイディは蛇革のジャケットを着た野性的なヴァルに惹かれる。


 ありふれた退屈な町は頽廃の色が濃い。そして、レイディの父が人種差別事件に巻き込まれて悲惨な最期を遂げていたこと、彼女の夫がその暴挙に関わっていたことがだんだん分かってくる。レイディにとっては現世の地獄だ。この芝居はウィリアムズが1940年に書いた『天使のたたかい』を大幅に書き換えたものだという。主人公の職業は作家からミュージシャンに変わり、おそらくそれによって題名に「オルフェウス」が入り、天使の争いが地獄の沙汰になったのだろう。


 劇中でヴァルが歌う『天の野原(Heavenly Grass)』は、テネシー・ウィリアムズが詞を書き、映画『シェルタリング・スカイ』の原作者でもある作家・作曲家のポール・ボウルズが曲をつけた。YouTubeで動画を探したら、ピアノ伴奏付きの歌曲として多くの人が歌っていた。この歌もまた、『精霊の踊り』や『天国と地獄』のギャロップ、『カーニヴァルの朝』と同じく、オルペウスの物語から生まれた。悲しい伝説はその主人公にふさわしく、数々の名曲に彩られている。(松本泰樹・共同通信記者)



 まつもと・やすき 1955年信州生まれ。私も「オルフェ」と聞けば、すぐ『カーニヴァルの朝』のメロディーを連想する一人。オルペウスの冥府下りは何となく記憶にあったが、エウリュディケを失った上、八つ裂きにされているとまでは知らなかった。

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