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2023.06.12 08:35

「ぽん酢を作りゆう」―村を作りかえたごっくん男 馬路村農協前組合長 東谷望史物語(34)

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◆「村を作りかえたごっくん男」1回目からのまとめ読みはこちらから

「ポン酢しょうゆ」兄弟。「千人の村」は量販店では「馬路村」

「ポン酢しょうゆ」兄弟。「千人の村」は量販店では「馬路村」

 梅原真さんにストレートジュースの開発を勧められた1985(昭和60)年ごろ、東谷さんはぽん酢しょうゆの試作にも取り組んでいた。

 「ユズの消費量で何が多いかを分析したがよ。そしたら鍋に使うのが多い。たとえば水炊きのときは、しょうゆとユズと大根おろしで食べる。それがユズの消費の中では一番多かった」

 やがてぽん酢しょうゆが馬路村農協を支える柱の一つになるのだが、そこに触れる前にちょっと寄り道。現在、馬路村農協が販売しているぽん酢しょうゆのラインナップを紹介しよう。

 大黒柱がご存じ「ゆずの村」である。瓶に加え、ペットボトルも出している。その大黒柱に弟が生まれたのは2011年で、最初に誕生した弟分がぽん酢しょうゆ「千人の村」。これはユズの使用量を増やした。今、同じ商品が量販店ではぽん酢しょうゆ「馬路村」として売られている。

 「通販は『千人の村』でえいけんど、流通へ流すやったら『千人の村』では売れんろうって。馬路の名前がだいぶ浸透してきたきよねえ。『ゆずの村』の第2弾として『馬路村』がえいろうと。で、流通に流すときは『馬路村』にしたがよ」

 続いて「朝日出山」「のーがえい」を出し、最後が「組合長」。それらは通販と馬路村内、高知市南久保の馬路村農協ショップで扱われている。

 「『朝日出山』は有機ユズを使い、減塩にした。『のーがえい』は、水で薄めたらそうめん汁にもなるぐらいユズを薄めにしてだしを利かせたタイプ。これもおいしい。特に女性に人気がある。最後に出した『組合長』は食品素材にこだわった。いい食品素材で風味を出したいと思うて」

 「組合長」を商品化したのは21年。東谷さんが組合長まで務めあげた馬路村農協を辞める1年ちょっと前である。東谷さんのこだわりでできた商品なので、名前もずばり「組合長」。

 長兄の「ゆずの村」を東谷さんが商品化したのは1986(昭和61)年だった。その1年前から農協の加工場でひそかに開発を始めた。

 「隣の安田町にダイイチダルマ食品のしょうゆ工場があって、上甫木弘吉さんゆう馬路出身の社長がおったき。上甫木さんに頼んでしょうゆを分けてもろうた」

 人目につかないところでやろうと、試作用のタンクを加工場の2階に上げた。

 「タンクにしょうゆを入れて、かつお節を削ったのを網に包んで中につるした。そうやってだしを出しよったところへ高田茂さんがぼこっと来た。もう亡くなったけんど、高田さんは愛媛県にあるしょうゆ会社の社長さん。なんで知り合いかゆうたら、橋本醸造の橋本泉社長の紹介ながよ」

 橋本醸造というのは高知市の橋本醸造用品。東谷さんは同社と瓶の取引をしていた。

 「高田さんがぼこっと来て、『何しゆぜえ』って言うき、『ぽん酢作り始めちゅう』って言うたら『協力しようか』と」

 高田さんの協力でぽん酢を完成させ、86(昭和61)年に商品化する。名称はストレートジュースと同じ「ゆずの村」。地味な商品だった。特に東谷さんは名前に引っかかりを感じていた。

 「梅ちゃん(梅原真さん)に言われて『ゆずの村』にしたけんどねえ、やぼったい名前やし、だいたい村自体にも自信がないしよねえ」

 売れ行きも地味だった。全く期待しない商品だったのだが、一夜にして大化けする。(フリー記者・依光隆明)

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