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2023.05.19 08:15

「らんまん」万太郎の植物図に驚嘆! ボタンの絵に寿恵子もうっとり 「牧野式植物図」を解説する

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ヒガンバナの植物図。花の付け根に見られる影には、1ミリの間に7本の線が描き込まれている(高知県立牧野植物園提供)

ヒガンバナの植物図。花の付け根に見られる影には、1ミリの間に7本の線が描き込まれている(高知県立牧野植物園提供)


 東京大学の植物学教室への出入りを許された「らんまん」の万太郎は、その植物の図を描くことの並外れた才能を発揮していきます。それは東大の学生たちばかりか、田邊教授も驚くほどの力量でした。

「らんまん」をもっと深く、もっと楽しく! 牧野富太郎博士の特設サイトはこちら!

 実際の牧野富太郎博士も優れた植物図を描いたことで知られています。植物分類学者は自ら植物図も描きましたが、植物の絵を描く専門の画工たちがいて、彼らに植物図を依頼していました。もちろん牧野博士も信頼する画工に描くことを頼んではいましたが、自らが優れた画工でもありました。なので牧野博士の画工に対する「注文」は非常に厳しいものでした。

 牧野博士の植物図は「牧野式」と呼ばれているほどにユニークなもので、その描写は精細を極めました。後にドラマでも登場するであろう食虫植物「ムジナモ」の図は傑作の一つであり、1年に1時間ほどしか開花しないという花までも描き、世界的な評価を受けることになりました。

 ドラマ「らんまん」では、寿恵子が好きだというボタンの花を描いて渡しましたね。これほどまでに素敵な贈り物があるでしょうか。

 高知新聞に「牧野式植物図」の素晴らしさを伝えた記事があります。博士の植物図がいかに素晴らしいものか。どうぞご覧ください。(竹内 一)

愛があるから美しい 牧野富太郎植物図の世界  緻密な筆 “真の姿”追求
 緻密で繊細、花や葉が空気を含み、浮き上がるような立体感―。高知県佐川町出身の植物学者、牧野富太郎(1862~1957年)の植物図にスポットが当たっている。没後60年を前に、世界三大植物園の一つであるイギリスのキューガーデンや在英日本大使館で、牧野の植物図が紹介されており、県立牧野植物園でも展示が始まった。美しさだけではなく、すごみすらまとった牧野の植物図の世界を、ほんの少し紹介する。

 ふちを細かく波打たせながら反り返る花、曲線を描きつつ天へ伸びるおしべとめしべ。紙の上で、ヒガンバナがみずみずしく咲き誇る。ともすれば写真よりも立体的な印象を受ける。

 陰影をつけるため、このヒガンバナの花の付け根には、1ミリ幅に7本もの線が引かれている。肉眼での確認は難しく、同園職員も最新機器を導入したテレビ撮影で、最近その事実を知ったという。

 「米粒に絵を描く人のレベル。数年前にレプリカを作ろうとしたら、業者さんに今の技術でもちょっと難しいと言われました」。牧野の植物図などを保管する同園牧野文庫の司書、村上有美さんはため息をつく。

 牧野が作画に使ったのは筆。ネズミの毛を3本束ねた筆を自作していたという逸話もある。村上さんは「さすがに3本は冗談だと思いますが、ネズミの毛でできた筆の毛を抜いて、さらに細くしていたと思われます」と想像する。

 牧野は基本的に製図に筆を使い続けた。牧野に教えを受けた、元牧野植物園長の小山鐵夫さんは、その理由をいくつか挙げている。

 ペンで描くと紙に引っかかり、ほんのわずかに紙上がささくれる。あくまでわずかな差だが、筆にはそれがなく、花の柔らかさを表現する繊細な曲線も出しやすい。逆にペンが表現するのに優れた直線や硬い質感は筆では出しにくいが、牧野はそれも筆で描けたという。

 小山さんは「筆だと確かにきれいな線が描けるが、どうやってみても私の技術では硬く強い線が出ない。仕方なくペンに戻った」と回顧している。
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シコクチャルメルソウ。繊毛の先の膨らみまで精密に描いている(高知県立牧野植物園提供)

シコクチャルメルソウ。繊毛の先の膨らみまで精密に描いている(高知県立牧野植物園提供)

 牧野の図のすごさは、一つの個体ではなく、植物の“真の姿”を描こうとしたところにもある。

 「描いてあるのは1本ですけど、これには蓄積されたたくさんのデータが反映されているんです」と村上さんは指摘する。

 花の数、大きさ、枝ぶり…。人間と同じように、植物も個体によってそれぞれの個性がある。1本の植物をそっくり写し撮ったとしても、その種の“典型”を伝えることにはならない。そのため、牧野は一種の図を描くために、数多くの個体を採取し、スケッチと研究を重ねたという。

 村上さんは「普通、そこまではしませんけどね…。牧野は『植物を説明するには、自分で描かないといけない。文と絵が両方あって初めて植物が分かる』と言っていました。採集、観察したものを絵にすることが、研究の最終段階だったと言える気がします」と、半ばあきれつつ感嘆する。
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 同文庫には、牧野の植物図が約1700枚残されている。確認された植物図の中で最も古いのは、19歳ごろの作品だ。この時期の図は、江戸時代の博物画家の影響から、まだ陰影がなく平面的に見える。

 その翌年ごろに描かれたウメバチソウの図には少し陰影がつき、西洋風の絵に近づいている。外国の本に触れたり、顕微鏡を購入して植物の細部が見られるようになったり…。青年期の牧野は、植物や製図についての知識が増えるごとに、絵画の技術もぐんぐん伸ばしていった。

 なぜここまで図にこだわったのだろう。

 文章で伝えきれない植物の詳細を、牧野はとにかく多くの人に伝えたかった。牧野の生涯の夢は、日本の植物の完璧な図鑑を作って、植物の素晴らしさを伝え、世界に日本の力を知ってもらうことだった。美しさと高度な植物学の知見を併せ持つ植物図には、牧野の植物愛が凝縮されている。

 現代の基準でも牧野の植物図の評価は高い。同園には海外の植物園から、たびたび展示の依頼が来ている。

 村上さんは言う。「よく図の美しさをほめられますが、牧野には、植物図がきれいという認識はなかったと思います。植物が好きだったので、植物が持っている本当の姿を正確に伝えたかったんでしょう。それがきれいだと言われるのは、牧野にはそれだけ植物が美しく見えていたということだと思います」(2016年10月7日付)

高知のニュース WEB限定 牧野富太郎

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