2023.04.29 08:40
「民権ばあさん」大奮闘 女性参政権(高知市)―発祥自慢
「婦人参政権発祥之地」碑。女性たちの草の根運動によって1990年に建立された(高知市上町2丁目)
今では誰もが知っている事、当たり前のようにある物にも、発祥の場所がある。日本の各地で地元の誇りとなっている、始まりの物語を紹介する。
高知市上町地区。幕末の志士、坂本龍馬の生誕地からほど近い通りに、「婦人参政権発祥之地」と書かれた記念碑が立つ。1878(明治11)年、全国に先駆けて女性参政権を訴えた楠瀬喜多(36~1920年)ら先人たちの偉業を顕彰するものだ。
明治10年前後といえば、高知県内では板垣退助らが「立志社」を設立し、自由民権運動を展開していた頃。各地で開かれる演説会は女性を含む多くの聴衆でにぎわい、「女性専用席が狭くなったので拡張してほしい」という要望もあったと記録に残る。喜多も演説会に熱心に通い、自由民権や女性解放の思想を身に付けたといわれる。
明治初期、男女平等論などの本が次々と翻訳され、民権運動にも影響を与えた(高知市立自由民権記念館)
県はまともに取り合わなかったが、男女平等を公然と問うたインパクトは大きい。喜多は後年「民権ばあさん」と呼ばれて歴史に名を刻んだ。
地元の歴史研究家、公文豪さん(74)は「その頃の女性としては考えられない行動。大阪や東京の新聞にも載り、センセーショナルに受け止められた。喜多さんは自らの名前で民主政治の基本を主張し、日本の近代女性史の第1ページを押し広げた」と説明する。
そして1880年、龍馬のおいの民権家、坂本直寛らの活動で、上町の町会議員選挙で女性の選挙権・被選挙権が初めて認められた。国により4年後に廃止されたが、世界を見回しても極めて早い時期だった。
楠瀬喜多や民権家らの活動を紹介している高知市立自由民権記念館
旗を掲げる女性らの人形が並ぶ展示。自由民権運動の盛り上がりを伝える(高知市桟橋通4丁目の市立自由民権記念館)
男女同権を唱えた思想家、植木枝盛の書斎も再現されている
「150年前から権利のために闘ってきた女性たちがいた。そのバトンを受け継ぎ、ジェンダーギャップ(性による格差)をなくす方向に前進させていくことが私たちの役割ではないか」。公文さんは今につながる歴史を学ぶ意義をこう話す。喜多らが求めた参政権は得られたが、性差にかかわらず「平等」な社会へは、まだ道半ばだ。
文 ・松田さやか
写真・佐藤邦昭
楠瀬喜多 晩年まで政治に関心
楠瀬喜多の肖像写真(高知市立自由民権記念館蔵)
放映中のNHK連続テレビ小説「らんまん」は、佐川町出身の牧野富太郎(1862~1957年)をモデルにした植物学者の波瀾(はらん)万丈の人生を描く。牧野も青年時代、自由民権運動に参加。同時代を生きた喜多をモデルにした女性もドラマに登場している。
喜多はどんな人物だったのか? それを知るための史料は多く残っていない。男性活動家たちと各地を演説して回り、中止を命じた警官にコップの水をかけたなどの“武勇伝”も伝わるが、公文さんによると後に創作されたものらしい。
ただ、政治への関心を晩年まで持ち続けたことは確かだ。女性の権利が次々と制限され、政談演説を聞くことすら禁止されていた中、「演説を傍聴する権利をまた与えてほしい」という願いを語ったことが1917年の高知新聞に掲載されている。女性参政権が法制化されるのは第2次大戦後のことだ。
民権家をあしらったクリアファイルやしおり
高知市立自由民権記念館では、楠瀬喜多や板垣退助ら5人の顔写真と名言を添えたしおりセット(200円)と、A4サイズのクリアファイル(300円)を販売している。ファイルはほんわかとしたイラストをあしらったものや全面が板垣の顔写真など5種類。