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2023.04.24 17:03

【ぷらっとTOKYO】「家康ゆかりの皇居周辺」 首都の基盤を築く

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 御宿稲荷神社=東京都千代田区

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送で、再び注目が集まる徳川家康。1590年、当時は関東の田舎町だった江戸を拠点に定めて道路整備や河川改修を進め、現在の首都・東京の基盤を築いた。居城となった江戸城の面影が残る皇居(千代田区)とその周辺で、ゆかりの場所を巡った。


 同区神田の御宿稲荷神社は、家康が江戸入りする際、この地の屋敷で宿を取ったことが起源とされる。現在の社殿は2007年に新築されたもので、ビルの谷間で家康の足跡を今に伝えている。


 江戸に入った家康は室町時代の武将、太田道灌が築いた江戸城のあるじとなり、古びた城郭の整備に着手する。1603年に幕府を開いてからは天下人にふさわしい大城郭を目指し、諸大名に命じて工事を進めさせた。完成したのは3代将軍家光の代と言われる。


 桔梗門近くにそびえる桜田巽櫓は、江戸時代から残る数少ない櫓の一つだ。堀から上ってくる敵を攻撃する「石落とし」などの設備があり、城を守る実戦的な機能を備えていたことが分かる。


 皇居西側の半蔵門は、家康の信任厚い家臣の一人、服部半蔵が警護を担当したことにちなんで名付けられたというのが通説になっている。門前に当たる麹町一帯が、半蔵率いる伊賀衆の屋敷で固められていたという。


 同じく家康に重用されたオランダ人ヤン・ヨーステンの和名「耶揚子」からその名が付いたのが、中央区八重洲。JR東京駅に近い八重洲通りには、ヤン・ヨーステンの肖像などを刻んだ記念碑が設置されている。


 城の整備と並行して、現在の同区日本橋などで「町割」と呼ばれる区画整理が進められた。1603年には地名の由来となった日本橋が完成。後に江戸と各地を結ぶ五街道の起点と定められた。現在も橋の中央にある「道路元標」が国道1号などの起点になっている。


 【メモ】皇居東側の平川門につながる平川橋のたもとには、道灌の功績をしのぶ石碑が立つ。

(c)KYODONEWS

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