2023.03.29 08:47
さよなら、高新まんが道場 熱いエネルギーたぎる作品たち 時代を映して35年…歩みを振り返る
子どもからシニアまで、高知の漫画描きの皆さんと約35年間、409回を重ねた作品投稿コーナー「高新まんが道場」がこのほど終了しました。道場主である漫画家の故・青柳裕介さん、くさか里樹さんが個性あふれる作品を審査し、特選・入選など計4千点以上を掲載しました。笑いあり、世相を切る風刺あり―。漫画王国・土佐の広い裾野に支えられたコーナーの歩みを振り返ります。(徳澄裕子)
審査は宝探しの気持ち 青柳さんの恩、次世代へ
2代目道場主・くさか里樹さん
高新まんが道場の切り抜きを手に、「皆さん漫画愛がすごい。わが道を行く作品は面白かった」と笑うくさか里樹さん(香美市内の自宅)
1987年に始まった高新まんが道場の“前半”を担った初代道場主は、漫画誌「ビッグコミック」で連載し、小学館漫画賞を受けるなど第一線の漫画家だった青柳裕介さんだ。
当時アシスタントだった佐藤勝己さん(69)が仕事場の2階に行くと、投稿作品を床一面に広げ、腹ばいになりながら吟味していた。「体調を崩した時に僕が一度選んだ時もありましたけど、講評を書くために目は通していた」という。
青柳さんは私生活でも、漫画家を志す若者に門戸を開いて交流した。高校時代に初めて自分の作品を持参したくさかさんは、「先生は『俺あ、少女漫画は分からん』と。ただ『いらんもんは削れ。言い切れ』と大事なことをぽつっとおっしゃってくれた」と感謝する。
くさかさんは80年に「別冊少女コミック」でプロデビューして活躍し、青柳さん亡き後の新道場主に。「選考するってこんなにしんどいのかと。作品を仕上げて出すだけですごいこと。選べん、と思った」
「誰でも漫画家になれる」が口癖だった青柳さんの講評を読み返すと、作者を励まし、エネルギーを湧き立たせる言葉が並んでいた。自身が書く時は、「漫画を描く者同士、『面白かったね』と肩の力を抜いてもらい、次も挑戦しやすくなる平易な言葉を心掛けた」と振り返る。地元出身の先輩漫画家、故はらたいらさんが人づてに助言をくれたこともあったという。
また誰をいつ、特選・入選にしたかノートに記録。安定した高水準の常連がいる一方、熱心だがなかなか掲載しづらい人もいた。
「『たまには入選するもの送ってよ…』と見守る気持ちだった」と語るが、楽しんで挑戦するアマチュアの「エネルギー」はきちんと評価し、作品を採用することも。「それが高知の漫画文化の土壌。高いレベルの作品だけ集まればいいかと言うと、それはそれでしんどいです」
審査は、自分を後押ししてくれた青柳さんへの恩を「次の世代に返す機会」だったと表現する。「漫画を描けることは、ふと深呼吸し、リフレッシュする人生を送れるということだと思う。漫画は自分の鏡のようなもの。自分は面白い漫画が描けるんだと思って、描き続けてほしいですね」と仲間にエールを送った。
紙一枚の表現 鍛えられた
漫画家・イラストレーター コマツシンヤさん(いの町)
特選となった17歳当時の作品「無題」。危機にひんする生き物の問題を独自のタッチで描いた
まんが道場に初めて掲載されたのは14歳。小中学生の作品が時々載っていたので、「自分も」とノートに描いていたような漫画を出しました。初投稿なので甘めに審査してもらったと思いますが、自分が描いたものが初めて印刷されてうれしかったですね。
それからほぼ毎月応募したんですが、ボツ続き。仲間内にウケるようなものを投稿していたんですが、高校生になり、季節の風物や社会のニュースなども自分なりに考えて描いてみると、ちょこちょこ載せてもらえるようになりました。
青柳(裕介)先生が「こまの隅々まで気を使って描く姿勢を忘れないように」と講評で書いてくださったことは、教えみたいにずっと意識していましたね。
当時は身近な発表の場がここだけで、22歳ごろまで続けました。独り善がりの作品でなく、一枚の紙で見る人に伝わる表現を考えることは、本当に鍛えられました。今の仕事にも役立ってるなあと思います。
コマツシンヤ 1982年生まれ。現・龍馬デザイン・ビューティ専門学校を経て、2004年に漫画「睡沌(すいとん)気候」でデビュー。オリジナルの絵本や漫画、児童書の挿絵、広告などを幅広く手掛ける。漫画「午后(ごご)のあくび」を月刊誌「PHPスペシャル」で連載中。
時代を映す作品たち
時の流れとともにいろんな出来事がありました―。400回以上に及ぶ紙面から、ごくごく一部ですが、時代を映す作品を紹介します。(掲載年月と、作者の名前・ペンネーム=敬称略)
「あれ、落ちたらぼくにくれる?」
(2012年10月、193)
安全性が懸念されていた垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが沖縄県に強行配備。本県上空も通過した。
「ウォンテッド」
(1993年6月、フナムシ)
高知市の県立坂本龍馬記念館で展示されていた時価6千万円相当の純金製カツオ像が盗難被害に。カツオ像のデザイン監修は青柳裕介さんだった。
「懺悔(ざんげ)」
(2015年11月、ぷうちん)
くい打ち工事を担う業者のデータ改ざんが各地で判明。しゃれが決まってます。
「春のソナエ」
(2008年2月、吉岡優)
社会現象になった韓流ドラマと、花粉症。涙が止まらない二つが融合した傑作。
「携帯電話」
(1998年6月、早川智彦)
つながらない場所はまだまだ多かった。
「『たまごっち』大流行― す…す…すいません。産休し、します…―」
(1997年2月、かしま山)
“子育て”に翻弄(ほんろう)された人は多いのでは。
「五輪延長戦。裏、金メダル」
(2022年8月、920)
舞台裏の談合で黒幕たちが次々逮捕。