2023.03.28 08:20
ケヤキ材の森をゆく 北添製材所(日高村)―そして某年某日(27)
〈2003年春〉世界遺産・清水寺の舞台に納入
北添幸道さんがケヤキ材の依頼を電話で聞きながら階段を下りる。右下に見える木材の一群はケヤキ(24日午前、日高村の北添製材所)
日高村岩目地の北添製材所にやって来た。社長の北添幸道(こうどう)さん(72)が、少し迷惑そうな顔をする。
「何しに来た? 午前中はく(来)んなあ言うたにぃ」とトボケ顔で怒る。
そのとたん携帯電話が鳴った。木材のケヤキの見積もりの依頼らしい。
「はいケヤキ。2メー2メー? 開き扉で2枚。うん。いいのがある」
電話の相手は香川県の工務店で、東京のお寺か何かにケヤキを使うという。
なかなかのグッドタイミング。早速、北添さんが在庫の確認を始めた。
□ □
ケヤキ材を擦る北添さん(北添製材所=山下正晃撮影)
父親の製材所を継いだ2代目で、地元中学校を出てすぐそのまま働いた。
当時は大阪の大手電機メーカーの下請けで、家電製品を梱包(こんぽう)する木箱を専門に造っていたが、発注がころころ変わるのに憤り、北添さんは取引を切る。
「トラックに木箱積み込んでいる最中に、またサイズを変えたと電話が。ハイおたくとの仕事は一切終わり。ジャンて電話切った」
そのときが18歳。規格品ではなく自分の裁量で造りたいと思った。
ケヤキを初めて削ったのもそのころ。近場の家の階段に使うというので引いた。手触り、堅さ、香りを忘れられない。
やがて大径木を引き削る大型機械を買う。原木の価格がいいころで、大豊町、香美市物部、仁淀川町の山奥や渓谷に入り、山主からケヤキを買い付けた。
いいケヤキを見るとテンションがあがる。
「木目からなにから美しい。頭の中で、ここからこう材を取ろう、こんな形のこんな木目にとイメージする。すぐ頭に浮かぶ」
徳島方面から車で帰っていると、前のトラックがケヤキの原木を高知市の市場に運んでいた。追い抜いて車を止め、「わしが買うから。うちに持ってきいや」と言って、そのまま運ばせたこともある。
昭和から買い続けているケヤキたち。いつ「出番」が来るかは分からない。
□ □
修復中の清水寺。古来のケヤキ材に継ぎ足す形で、舞台下の「大引き」6本のうち4本を取り換えた。北添さんの納めた材を使用(2004年夏、千葉県柏市の田中宗一さん撮影)
390年前の再建から今に続く世界遺産・国宝の清水寺。ケヤキの柱列が支える清水の舞台は有名だ。
「その腐食部分の取り換えを探してたんよ。そやけど、そんな大径木は、もうないのよ」と四辻さん。
北添さんの倉庫を見て回った四辻さん。「四国にはいいケヤキがあるわ」
香美市の物部地域などでとれた極上ケヤキをその場で買い付け。北添さんは発注に合わせ、長さ2メートルのケヤキ材を8角に削ったものと、8メートルほどの角材4本を造り、清水寺へと送った。
清水寺の舞台の下に見える赤丸の4カ所が北添さんの加工した高知県産のケヤキ材(京都市東山区)
04年秋、四辻さんの案内で北添さんは清水寺へ。使われた高知産のケヤキを見上げ、舞台の上からものぞき込んだ。
「宮大工さんすごいなと。ここに使ってくれとるんかあと。感謝の気持ち」
4本の大引きは今も木口(こぐち)が見え、一幅の風景画のような世界に収まる。
□ □
日々加工される材木。木の種類はさまざま(北添製材所)
香りが立ちこめる。杉とヒノキもあるが、目を引くのは広葉樹の材や原木。
クス、ホオノキ、クリ、イチョウ、サクラ、カエデ、ナラ、カシ、トチ…。そしてケヤキ。
山林を杉ヒノキの人工単一林に替えた日本の現代を「木の文化をいかんもんにした」と北添さん。
「木はそれぞれ使い方、魅力、特徴、違うわけよ。役割、得手、不得手があるがよ。だから植林にもケヤキ、ナラ、カシと、いろいろ入れて植えてやれと。そうしたら四国の山は、もっとすてきな山になる」
「広葉樹は重いでぇ。なんで重いかは知らん。木に聞いても答えんもん。ケヤキも腰抜けるばあ重い。けんど値打ちもずっしりよ」
□ □
商談が入った赤みのケヤキ材(北添製材所)
電話を耳に当てながら、北添さんはひょうひょうと階段を下りる。
北添製材所。迫力満点のケヤキの森の中だ。(石井研)