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2023.03.13 08:30

「牧野植物図鑑と村越三千男」シン・マキノ伝【58】=第5部= 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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 牧野富太郎といえば、植物図鑑といわれるほど、牧野が作った植物図鑑、つまり牧野の姓を冠する「牧野日本植物図鑑」(北隆館)は知られている。出版されたのは、昭和15(1940)年10月である。しかしながら、牧野が植物図鑑の編さんに携わるのはこれが最初ではなく、その前に「植物図鑑」(参文舎のち北隆館、1908年)、「日本植物図鑑」(北隆館、1925年)の出版にそれぞれ校訂者、著者として牧野の名が掲げられる。牧野が関わったこうした植物図鑑の存在もさることながら、これらを巡って村越三千男(1872~1947年)との協働、対立、最後に仲直りという経緯があったという俵浩三氏の見解(「牧野植物図鑑の謎」平凡社新書、1999年)は、想像もしなかった事柄であり衝撃的であったとさえ言えよう。俵氏の綿密な調査に基づく論の展開が斬新で、明治40年ごろに図鑑が必要とされるようになる時代背景の考察も興味深いものであった。今回は、俵氏の見解を参考にしながら、新たな資料などを交え、「植物図鑑」などの出版および村越と牧野の関係について述べてみたい。

昭和20年代、北隆館にて撮影。牧野富太郎(中央座る)と福田良太郎社長(富太郎の左隣)=個人蔵

昭和20年代、北隆館にて撮影。牧野富太郎(中央座る)と福田良太郎社長(富太郎の左隣)=個人蔵



 初めに、村越三千男の略歴を記しておく。明治5年、埼玉県行田市忍に生まれる。明治27年に埼玉師範尋常師範科を卒業して…

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