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2023.03.01 07:00

【名作文学と音楽(8)】神出鬼没! 手回しオルガンにご注意  ジョイス、バール、マラルメ、ヴェルレーヌ

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 ペンギン・モダン・クラシックス版「『ダブリナーズ』

 19世紀後半から20世紀前半にかけてのヨーロッパ文学には、街角で演奏されるひなびた味わいの楽器がよく出てくる。前回のコラムに書いたノコギリもその一つに加えてよいと思うが、文学者がとりわけ興味を引かれたのは手回しオルガンだった。


 オルガンとは言っても、パイプオルガンや足踏みオルガンとは違い、自動演奏楽器の一種である。仕組みは何通りかあり、それを説明するのは私の手に余るので、ごく簡単に済ませるほかないが、要するに、箱形の本体に付いているハンドルを回すと、紙などにあらかじめプログラムされているメロディーが流れ出す。乱暴に言えば、オルガンの音がするオルゴールのようなものである。教会やダンスホールにも置かれたが、大道芸や物乞いとの関係がより深く、ストラップで肩から掛けたり、台車に載せて街を流して歩いたりした。


 手回しオルガン弾き(曳き?)は、いつなんどきやってくるか分からない。聞かされる方にとって不愉快なこともあっただろう。アイルランド生まれの作家ジョイムズ・ジョイス(1882~1941)は短編集『ダブリナーズ』(新潮文庫 柳瀬尚紀訳)所収の『エヴリン』で、まさにそういう瞬間を描き出した。よりによって一家の母が死の床にあるとき、ストリートオルガン(英語で手回しオルガンのこと)が近づいてきて、家の外から「イタリアのもの悲しいアリア」を響かせた。娘のエヴリンは、父がオルガン弾きに6ペンスを与えて追い払い、部屋に戻ってきて「イタリア野郎め! こんなとこまで来やがって!」と罵るのを聞いた。


 その1年後、エヴリンは父と兄弟を見捨て、船乗りの恋人とブエノスアイレスへ行って暮らそうと考えている。窓辺で物思いにふけっていると、通りの先からストリートオルガンの音が聞こえてきた。そのアリアには覚えがあった。エヴリンは母との最後の約束「できるかぎりの間は家の面倒をみる」を思い出し、また、狂気のうちに一生を終えた母のしつこく繰り返される声を聞いた気がして恐怖に襲われる。それでも彼女は恋人と外国で幸福になることを選んで波止場まで行くが、最後の最後で彼氏の手を振り切って陸に残った。この絶望的な行動がストリートオルガンの音と無関係だったとは思えない。


 ところで、繰り返し出てきた「アリア」はどんな曲なのだろう。オペラのアリアがまず頭に浮かぶが、『カロ・ミオ・ベン』などのイタリア古典歌曲も「アリア」と呼ばれることを考えると、もう少し広く捉えてもよさそうだ。原文の英語はair。『ロンドンデリーの歌』も『G線上のアリア』も英語で言えばairである。この箇所を他の訳で見ると、新潮文庫の安藤一郎訳、岩波文庫の結城英雄訳は「曲」、福武文庫の高松雄一訳は「メロディ」になっている。


『ダブリナーズ』にはairの出てくる箇所がほかにもある。柳瀬氏はそれらを「アイルランドの曲」「思い浮かぶメロディー」「ハープ弾きの弾いていた曲」とシンプルに訳したが、前述の場面では文脈に合わせ、イタリア語で「アリア」としたのだろう。私の個人的な心持ちとしては、オペラのアリアだけに限定せず、イタリアの歌謡性豊かな調べを幅広く想像しておきたい。


 岩波文庫の『ウィーン世紀末文学選』(池内紀編訳)に収められているヘルマン・バール(1863~1934)の短編『ジャネット』では、劇場勤めの女ジャネットと稼ぎのない美男子パウルの痴話喧嘩のさなかに手回しオルガンが現れる。パウルは中庭から聞こえてくる曲の歌詞「心変わりはつねのこと、愛がありさえすればいい」が気にくわない。パウルの怒りをやり過ごそうとしているジャネットにとっても都合が悪い。実際にこういう歌詞の唄があるとすればどれなのか知りたいが、あるいはバールの創作かもしれない。


 しばらくすると、曲はジャネットが大好きな『哀れなヨナタン』に変わる。彼女は窓辺へ行って銀貨を投げてやる。崇高なポーズでいたいが、ついついワルツに合わせて足が動く。それは「卑しいコケットリー」でもある。パウルはジャネットの足に目がないのだ。結局、言い争いはうやむやのうちに収まり、パウルもオルガン弾きに銀貨を投げてやる。


『哀れなヨナタン』はミレッカー作曲のオペレッタの題名である。ジャネットのお気に入りはたぶん、その中のアリアだろう。華やかなワルツ『ああ、私たち哀れなプリマドンナたちは』あたりかもしれない。


 さて、ところ変わってフランスでは、手回しオルガンを「オルグ・ド・バルバリー」と呼んでいる。「オルグ」はオルガンだが、「バルバリー」はどこから来たのか。


 18世紀頃のイタリア人楽器製造者、ジョヴァンニ・バルベリの名前に由来するとも言われるが、裏付けのない伝説のようで、それよりも「よそ者」や「粗野」を表す語と見なす説の方が妥当かもしれない。放浪者が持ち歩く楽器であり、音色が素朴なのも確かだから、意味的にふさわしいのはこちらだろう。


 ステファヌ・マラルメ(1842~1898)の散文詩『秋の嘆き』は、初出時の題名が「オルグ・ド・バルバリー」だった。エヴリンの父やジャネット、パウルとは違い、銭を投げてやらなかった男の話である。


 マリア(マラルメの妹のことだという)が亡くなって以来、「わたし」は常に孤独を愛し、猫のみを相手に過ごしてきた。ある日、猫の毛並みに手を埋めていたとき、窓の下で手回しオルガンが鳴り始めた。物憂げに、物悲しげに。音の流れてくる並木の辺りは、マリアが蝋燭にまもられて最後に通った道だった。


「心悲しめるものの樂器、さうだ、たしかにそれにちがひない。ピアノは燦(きら)らか、ヴィオロンは傷める心に光りを注ぐ。だが、オルグ・ドゥ・バルバリーは、思ひ出の薄暮のうち、わたしを驅つて絶望的に物思はせずにはゐないのだつた」(白水社『フランス詩選』 山内義雄訳)。


 耳に届いたのは陽気な俗謡のひと節だが、ロマンティックな小唄のように「わたし」を泣かせた。ゆっくりと楽の音を味わった「わたし」は、気持ちが乱れるのを恐れ、また誰かがその音を奏でたのだとは思いたくないので、一文の銭も投げなかった。


 人間の介在を信じたくないから銭を投げないというのは、無邪気でいて、しかもひねくれている。私は、マラルメは難解だと信じ込んでいたが、なかなか余韻のある終わり方をするじゃないかと思い、わずかに親しみを覚えた。


 最後にポール・ヴェルレーヌ(1844~1896)の詩『パリの夜』の一部を、新潮文庫の堀口大學訳で紹介しよう。読者よ、いざセーヌ川のほとりへ。


「おりもおり、藪から棒に/夕闇をつんざいて、どこやら近くの街角で/あわてたテナー、/手回し風琴の恨むような、訴えるような/甲高い絶望の叫びが歌い出す。」


「始末のわるいソルのキー、こいつのおかげで、/全部の音いろが風邪っ気味、/ドはラになって狂ってる、/だが、そんなことは苦にならぬ!/聞いてけっこう人は泣く!/夢の国へと心はあそび、/昔の思いにさそわれて、/昔の若さが体内の血によみがえる。」


 そもそも手回しオルガンの音程はあまりよくないが、ドがラになるとは尋常でない。それでも人を昔の思いに誘って泣かせるのだという。素朴な音色と所々の調子っぱずれが合わさってこの楽器ならではの、郷愁と甘美な悲しみを催させる響きが出来上がっているのだろう。(共同通信記者・松本泰樹)



 まつもと・やすき 1955年信州生まれ。家のCD棚を探したら『ストリート・オルガン・フェスティバル』と題したアルバムが出てきた。2013年に閉館した「オルゴールの小さな博物館」が所蔵していた8つの手回しオルガンで『美しく青きドナウ』『リリー・マルレーン』『黒い瞳』などが録音してある。以前に聴いた時は「かわいい」「ノスタルジック」ぐらいの感想だったが、関連の文学作品を読んだ後では、もう少し翳りのある音色に聞こえた。また、最近立ち寄った古書店で、手回しオルガンの絵が印刷された封筒を見つけたのはうれしい偶然。原画は風刺画家ドーミエの水彩画である。彼の別の作品がフランスで切手になった時の記念封筒で、切手が貼られ、発行初日の日付印が押してある。こういう封筒を「初日カバー」というらしい。1966年のものだが骨董的価値はないようだ。

(c)KYODONEWS

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