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2023.01.24 08:35

魚梁瀬杉 最後の競りに来た男「はい稲田さん!」―そして某年某日(25)

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さまざまな人や風景の「ある日」「そのとき」を巡るドラマや物語を紹介します。

〈2018年1月24日〉高知の宝 使命感で買う

2018年1月24日「最後の丸太6本」の競り。帽子姿の稲田さんが手を上げた(高知市の「県林材」)

2018年1月24日「最後の丸太6本」の競り。帽子姿の稲田さんが手を上げた(高知市の「県林材」)

 競り人は「天スギ」と呼ぶ。土佐の天スギと言えば馬路村の山深くに古来育った天然魚梁瀬杉だ。

 2018年1月24日は天スギの最後の大競りとなった。国直轄事業として明治時代から伐採が続き、日本の林野会計を支えた杉は枯渇。残り少ない貴重な魚梁瀬杉は保護することとし、前年の伐採で得た58本の魚梁瀬杉を「最後の競り」で売ることとなった。

 土場に並ぶ木は樹齢200年超え。「はい最高の丸太ー」。高知市仁井田の「県林材」。ベテランの競り人が丸太の上に乗ってさばく。

 競りのハイライトは、最も直径の太い樹齢234年の巨木。この1本を各2~4メートルの丸太にした計6本。

 買うスタイルは人さまざま。金額が上がるたび、視線で合図する人。自分の胸を指す人。指を出す人。競り人の足を下からこっそり触る人。

 「こんな高値じゃ買えんわ」と、つぶやき声。

 古参業者ばかり、100人以上が集っている。見慣れないおじさんが一人、手を上げた。じかに手を上げるスタイルの人はまずいない。「誰や?」

 □    □ 

 稲田広喜さん(73)。

 津野町烏出川に暮らし、林業などを営む。「もう根っから、木が好きで好きでたまらん男じゃき」

 今はやっていないが、本職は木造の大工。地元の中学校を卒業後、シベリア抑留を経て戦地から帰った父親の太吉(たいきち)さんに仕込まれた。

 父がつくった建設会社を継いで家族と営んできたが、樹木好きが高じた林家の表情も色濃い。結婚した20代後半からは妻と植林山を買い集めた。間伐材は自分でトラックに積み、四国の市場に出す。自力でやればそこそこの稼ぎは出た。さらに買い集め、林道も縦横に付けた。今では植林300ヘクタールを有し、今も休まず山仕事に出る。

 15年前からは原木も買うようになった。自分の持ち山で取れる木は、樹齢は長くても100年少し。天然杉の200年ものなんて、夢のまた夢。

 魚梁瀬杉の最後の競りがあると聞いたときは「それ。行かいでたまるか」。

 トレードマークの帽子をかぶり、「最初はまあ買えるものがありゃ買おう」という気持ち。しかし場に立つと、たちまち前のめりになった。

 「買っていくのは県外ばっかりじゃ。県東部の業者とか頑張っておられる方もおったけど。高知の宝の木なのに。よそに買われていく」

 前年暮れの魚梁瀬杉の市でも丸太10玉以上を買っていた稲田さん。持ち金はあやしくなっていたが、踏ん張った。「魚梁瀬杉は高知に残さな。妙な使命感にかられてしもうた」

 最後の6本。秋田の業者らがサインを送る中、稲田さんも手を上げた。

 一番太い根元の丸太は高くて手が出なかったが、長さ4メートル、直径1メートル14センチの丸太を94万円で落札した。

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 あの日の丸太は、どこにあるのか。

 稲田さんの暮らす烏出川の集落を訪ねた。年の瀬の雪は解けたが、寒風の中に稲田さんの倉庫がある。

「これが最後に競り落とした木」と触る稲田さん。この一部を天井板にした。周囲の木もほとんど魚梁瀬杉。「ほかにもいろいろ造りたいのよ」(津野町=山下正晃撮影)

「これが最後に競り落とした木」と触る稲田さん。この一部を天井板にした。周囲の木もほとんど魚梁瀬杉。「ほかにもいろいろ造りたいのよ」(津野町=山下正晃撮影)

 「最後の魚梁瀬杉」は粗引きされて、30ほどの分厚い盤や板になって積まれ、乾かされていた。

 「木を狂わす。反らせる。見て、反っている。こうやって、木を暴れさせる。姿を変えるから面白い」

 「ええやろ」。地元の大工さんの加工場に運び、工具で長さ3~4メートル、厚さ数ミリの板を取ってもらった。

 木目も色艶もこの上なく見事だったその板は、長男の将人さん(40)が昨年6月に建てた家に使った。

魚梁瀬杉で造作した「竿縁天井」。長さ3メートルの一枚板が19枚張られている。稲田広喜さん=右=が息子の将人さん=左、大工の棟梁、熊岡直司さん=中央=と眺める(津野町烏出川=山下正晃撮影)

魚梁瀬杉で造作した「竿縁天井」。長さ3メートルの一枚板が19枚張られている。稲田広喜さん=右=が息子の将人さん=左、大工の棟梁、熊岡直司さん=中央=と眺める(津野町烏出川=山下正晃撮影)

 早速おじゃました。今見上げた「竿縁天井(さおぶちてんじょう)」は、地元の大工さんが削って張った。「これはすごい木やなあと。緊張した」と棟梁(とうりょう)。長さ3メートルの一枚板が19枚。板の厚さは6ミリで、端の部分をわずか3ミリまで薄くして、端を重ね合わせて張り、竿のような横木で支えている。木目と艶が美しい。

 玄関の天井は「雇い目地張(めちば)り」という技で張り合わせた。これも長さ4メートルほどの一枚板の張り合わせで、板の合わせ目の隠れた部分には同じ4メートル、厚さ4ミリほどの細長い板を目地にして埋め込んでいる。

 「天然の木やから。雑木の日陰の中で難儀しながら育っている。それが見える。こっちが板目、これが柾(まさ)目。魚梁瀬杉は表現力が違うろう」

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 あの日の競りを締めた丸太6本。その魚梁瀬杉の落札価格は計548万円という、破格の高値となった。

 それらの個別の結果と、木の行き先をまとめておこう。

 根元の1番玉(長さ2メートル)は県外業者が255万円(立方単価67万円)で落札。しかし行方は分からない。この業者さんは県外の市場へ転売することが多く、奥さんが電話ですまなそうに「行き先は分かりません」。

 2番と3番玉(各2メートル)を計127万円で落札した秋田県の銘木加工業者は有名な人だったが電話はつながらない。地元の組合に聞くと、後継者がいないため昨年10月に廃業したという。

 30万円で県外の業者が購入した6番玉(4メートル)の行方もゴールには行き着かなかった。5番玉(同)は松山市の製材所が42万円で買って板に引き、現在保存修理をしている道後温泉本館2階の引き戸の腰板になるという。

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 「はい天スギ。10万11万12万…」

 ちょうど5年前に当たる日の競りの写真。最後から少し前のカット。敢然と手を上げる稲田さんが見える。

 気合のこもった表情で応じる、競り人の声が聞こえてきそうだ。

 「はい稲田さん! ありがとう」

 古手の関係者によると、最後の競りには、おととし亡くなった室戸市の伝説の加工業者や、名うての買い方たちが集い、「往年のにぎわいが、一瞬だけ戻ったようだった」という。

 競り人の締めの言葉は静かだった。「魚梁瀬杉の競りはこれで終わりです。ありがとうございました」(石井研)

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