2024年 05月16日(木)

現在
6時間後

こんにちはゲスト様

高知新聞PLUSの活用法

2022.12.09 15:11

【天覧奇術師・阿部徳蔵の生涯 #1】アマチュア奇術師の誕生 時代を切り開いた3人

SHARE

 阿部徳蔵(石崎健治さん提供)

 昭和天皇に3度マジックを披露した希代の奇術師・阿部徳蔵。その生きざまと、日本におけるマジックの歴史を「東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ」の石崎健治さんが紹介します。全10回。


   ×   ×


 現代では幅広い年齢層が、さまざまな形で楽しむマジック。江戸時代には手妻とも呼ばれ、寄席や大道で演じられていた。明治時代になり、西洋奇術が移入したことで、手妻と洋物を組み合わせた奇術師が人気を博し、次第に大きな舞台でも演じられるようになった。


 明治の後半から大正、昭和にかけて、舞台に立つことを生業とするプロのマジシャンとは異なり、純粋に趣味として奇術を楽しむ人々、いわゆるアマチュアマジシャンが登場した。カードやコインを使って近距離の観客を対象に演じる「クロースアップマジック」など、彼らアマチュアによって開拓され、人気となったジャンルも多い。


 中でも草分け的存在となったのが、田中仙樵(1875~1960年)、緒方知三郎(1883~1973年)、阿部徳蔵(1889~1944年)の3人。いずれも後に創設される「東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ」で、歴代の会長を務めた人物である。


 田中は大日本茶道学会を創設した茶道家。プロの奇術師から学んだ知識を基に、奇術書「西洋奇術自在」を出版した。緒方は蘭学者緒方洪庵の孫で、東京帝大の医学部教授を務めた。仕事柄、洋行が多く、海外のマジック事情に精通していた。


 阿部の経歴はさらに変わっている。大学を中退して著述家となった後、本業もそこそこに海外の奇術書を買い込んで研究に没頭。昭和天皇の御前で奇術を披露するまでになった。作家としてはさほど売れなかったが、谷崎潤一郎や芥川龍之介といった文壇のスターとも交流があった。


 芥川が1920年に発表した小説「魔術」には、印度魔術や骨牌(かるた)の賭け事が描かれている。筆者には阿部との交わりの中でひらめいたストーリーに思えてならないが、こればかりは推測の「藪の中」である。


   ×   ×


 いしざき・けんじ 1948年東京都生まれ。2008年から東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ(TAMC)会員。活動の一環として、阿部徳蔵の業績研究を手がける。

(c)KYODONEWS

国内・国際 Nエンタメカルチャー

注目の記事

アクセスランキング

  • 24時間

  • 1週間

  • 1ヶ月