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2022.12.01 05:00

【『小さな恋のメロディ』50年後の会見記(2)】 1971年日本で大ヒット、何度もリバイバル

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 マーク・レスター(左)とトレーシー・ハイド=10月、京都市の京都みなみ会館(撮影・多田麻実)

 映画「小さな恋のメロディ」の大ファンでエッセイスト澤田康彦さんが、50年の時を超えて来日した主演俳優2人を京都市で迎えた会見記の第2回。



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 「初めて日本に着いた日、羽田空港の扉を出るとたくさんの人が詰めかけていました」とトレーシー・ハイドは述懐する。「振り返っても誰もいなくて…え、私!? この時『メロディ』が日本でいかにヒットしているのか実感したんです」


 2人は日本で歓待された。1971年、英米では成功しなかった映画が、日本では爆発的な動員数を記録した。映画は映画館に行かないと見られない時代。リピーターを生み、何度もリバイバルされ“カルト”となった。76年にはテレビ放映。これは映画雑誌の読者投票による番付を再び押し上げた。


 日本のメディアでたびたび取り上げられていた当時を、トレーシーは得意そうに語る。インタビュー時、私が持参した「ロードショー」は彼女が表紙を飾る77年6月号で、開くと番付はトレーシーが1位(2位はテイタム・オニール、3位はジョディ・フォスター)。彼女はそれを眺めて「男優1位がアラン・ドロン。私の夫は彼の大ファンなの。教えなきゃ」。隣からマーク・レスターが「ぼくは何位かな?…ありゃ12位。(共演の)ジャック・ワイルドは…11位かあ! なんてこった」と大笑い。トレーシーも笑う。60代になり、それぞれ伴侶・子どものいる2人だけれど、気の合うカップルの空気感。そもそもこの来日はマークが誘って相成ったのだ。


 齢を重ねたトレーシーの笑顔、話し方にはメロディの名残がある。マークはダニエルのボーイ・ソプラノのような可憐な声では無論なく、野太い。背も高く体☆(身の右にハコガマエに品)もがっちり。おなかもしっかり出て、時折同行の息女オリビアをいとおしげに眺める父親の顔。時は流れた。子役出身の2人だから、さまざまなことが身に起きただろう。けれど現在の笑顔、ふるまいは、その年月をたくましく乗り越えた証しだ。


 大好きな日本食はとファンに聞かれると、マークは「シャブシャブシャブ」と笑わせた。1回多い、と京都の観客はすぐ突っ込んだ。(エッセイスト)


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【筆者略歴】さわだ・やすひこ 1957年滋賀県生まれ。上智大卒業後にマガジンハウスに入社し、雑誌「ブルータス」などの編集を担当。「暮しの手帖」編集長も務めた。著書に「ばら色の京都 あま色の東京」「いくつもの空の下で」。

(c)KYODONEWS

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