2022.11.27 08:40
「七つの滝」は夢の跡、忘れられた景勝地 宿毛市京法地区の鎌柄渓谷
鎌柄渓谷の場所を知らせる看板。周囲を見渡しても入り口はない(宿毛市橋上町京法)
うっとうとした山中に隠れるように川が流れる鎌柄。「七つの滝」が次々に姿を現した(宿毛市橋上町京法)
三松春男さんが残している滝の名前や特徴を記した手帳(宿毛市中央6丁目の丸三観光ハイヤー)
男たちが、ある熱い思いを持って整備を進めたという渓谷。そして、いつしか忘れられた。当時造られた休憩所や橋は跡形もない。ただ、「入口」の向こう側に足を踏み入れると、七つの滝は確かにそこにあった。
軽トラで奔走
手がかりとなるのは、1981、83年に高知新聞に掲載された〈「鎌柄渓谷」売り出そう〉〈ふるさと再興夢に〉の記事。そこに記された有志の目標は、閉校になった京法小学校の復活だった。
渓谷に大勢が訪れれば、店ができて人が住むようになり…。地区が活気を取り戻すことに情熱を傾け、手弁当で奮闘したのが、蕨川安男さんと有田数雄さん(ともに故人)だった。
鎌柄渓谷は七つの滝がある谷として地元では知られていたという。自然豊かで、伝承にも彩られた滝が点在する渓谷はきっと人気スポットになるはず、と蕨川さんらは整備に注力。草木を切り開き、道を造った。古電柱を川に渡して橋を架け、途中には休憩所もこしらえた。市観光協会が視察にも訪れた。
蕨川さんを知る浜田頼之さん(75)=奥奈路=は「(蕨川の)やっさんが軽トラックに材木を積んで、毎日のように渓谷を往復していた」と振り返る。ただ、遊歩道の補修を伝える85年の記事を最後に、鎌柄渓谷のニュースは途絶えてしまう。
2020年、ついに京法地区の住民はゼロになった。今は、市道脇にある入り口看板だけが往時をしのばせる。かつて入り口があったであろう草木が生い茂る斜面を京法川に下りると、鎌柄渓谷が見える。上流に向け600メートルほどに、高さ3~8メートルほどの大小さまざまな七つの滝が点在する。
滝の場所を知る菜畑昭人さん(81)=奥奈路=は「当時のことは分からない。ただ、人の手が入れば良い場所になると思った気持ちは分かる」と、久しぶりの訪問に感慨深げ。古電柱の橋も手作りの休憩所も、それがあったことさえ分からない。竹村伝(つたえ)さん(80)=神有=は「水も透き通っていて癒やされる。(小屋や橋は)朽ちていたけど、滝の姿は変わらないね」。
うっそうとした草木が行く手を遮る。かつて整備されたであろう遊歩道の面影もない。斜面を縫うように道なき道を行く。1時間ほどで、落差8メートルはある最後の滝が姿を現した。浜田さんは「70年以上橋上に暮らしてるが初めて見た」と目を細めた。
手帳に残る名前
実は七つの滝、昔からの呼称なのか、整備を進めた蕨川さんらが名付けたのか判然としない部分もある。
京法地区で生まれ、幼少期に鎌柄渓谷で釣りをしたという丸三観光ハイヤーの三松春男さん(87)の手帳にその手がかりが残されている。三松さんは、蕨川さんから聞いた滝の名前をメモ。古里の宝の名前を忘れないよう、毎年手帳が変わるたびにメモを書き写してきた。
メモによると、川下から順に雄蛇斑(おんじゃぶち)(写真1)、雌蛇(めんじゃ)斑(2)、金打轟(かねうちとどろ)(3)、モミジ轟(4)、長(なが)斑轟(5)、スリ鉢轟(6)、エンコ斑(7)。ただ、メモとは異なる表記の記事も見られ、「斑」ではなく「渕」説もある。
三松さんによると、少なくとも(3)(4)(6)の滝は昔からその名で親しまれていた。その他は「みんなで頭をひねって名前を考えたのではないか」と推測する。当時あった案内看板も今はなく、詳細を知るよしもない。
学校復活を目指して整備された渓谷は夢の跡となった。ただ、七つの滝は往時と変わらず美しい姿を見せる。蕨川さんらの思いを忘れないように。(坂本出)