2024年 04月29日(月)

現在
6時間後

こんにちはゲスト様

高知新聞PLUSの活用法

2022.11.13 08:20

室戸の浜で大ゲンカ―村を作りかえたごっくん男 馬路村農協前組合長 東谷望史物語(7)

SHARE

◆「村を作りかえたごっくん男」1回目からのまとめ読みはこちらから

高知スーパー時代の東谷さん

高知スーパー時代の東谷さん

 「ここやったら入れる」と高知中央高の先生に勧められ、卒業して高知スーパーに入った。1971(昭和46)年、19歳の春である。

 「特に何をやる予定もなく入ったけど、いま思うとマーケティングの入り口をかじらせてくれたなあ。仕入れとか、値段の付け方、ポップの書き方…。研修が1カ月あって、レジの打ち方とか基本的なことを教えてくれて」

 研修後、高知市の潮江店に配属される。

 「食品担当やった。サニーマートががんがん伸びゆうときでねえ、負けてなるものかという思いがあって。サニーマートの桟橋店が集客力を持っちょったけんど、けっこう僕も活躍したと思う。そうそう、旭食品の社長をした竹内康雄さんが営業で来よった」

 東谷さんは熱心に働いた。

 「工夫してポップ書いたり、通路のエンド(端っこ)へ物積んで夏らしさを出したり。物を積もうとしたら大量に仕入れないかんわけよ。いろいろやって、メーカーにも本社にも評価された」

 ポップというのは商品に掲げる手作りPR板のこと。購買意欲をそそるように描かないと効果はない。サニーマートには負けたくない、そう思いながら自己流で工夫を重ねた。

 高知スーパーは高知市の商店主たちが出資して作った企業だった。大橋通や帯屋町にも店を持ち、県スーパー業界の覇者といった趣。それをオーナー企業のサニーマートが急追した。

 「会社はトップの姿勢でものが決まるやいか。サニーは中村さん(英雄社長)がまだ若うて。高知スーパーは経営者の方針が分からんかったというか、定まらんかったというか、ダイエーと組んだり離れたりしたきねえ」

 ダイエーは日本の流通業界をけん引した。カリスマ経営者、中内功(1922~2005年)が価格破壊によって消費者の支持を獲得。一代で日本最大の流通グループを築いたものの、やがて消えた。中内氏のルーツは高知県で(本人は「うちは高知の中村の出身」と言っていた)、土佐人の血を意識していた。それだけに高知との縁は深い。

 「同期の新人だったのが、のちにサンプラザの社長になった笠原雅志さん。もう亡くなったけど、彼とも馬路村農協はビジネスを成立させた」

 笠原氏とはけんかの思い出がある。

 「潮江、下知、菜園場店が室戸へ社員旅行に行ったがよ。室戸岬のホテルで大宴会して。社長の永野寅太郎さんにコップで献杯したらコップで飲み返してきて、豪快な人やった。やりゆううちに酔うてしもうてよ。海がすぐそばやき、涼もうと思うたら同期の女性がおって、一緒に座りよったら女性を探しにきた男4人が来て」

 その女性が笠原氏の彼女だったらしい。邪推されてけんかになった。

 「酔うて海岸で休みよっただけやけんど、わいわいゆうて探しにきて。なんせ酔うちょったねえ。え?女性に? なんちゃあしてない。みんな同期やけんど、相手は大学出で23歳くらいやし、4人もおるし。笠原さんには殴られんかったけど、菜園場店の男にはぼこぼこにやられた。その男は少林寺拳法3段やった。傷もつれになった」

 高知スーパーの日々は忙しくも淡々と過ぎた。やがてその平凡さが我慢できなくなる。人生のスイッチが入る日が迫っていた。(フリー記者・依光隆明)

高知のニュース 馬路村 ひと・人物 村を作りかえたごっくん男

注目の記事

アクセスランキング

  • 24時間

  • 1週間

  • 1ヶ月