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2022.11.18 08:30

「岐阜にてサダソウの名を得る」シン・マキノ伝【31】=第3部= 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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サダソウ(高知新聞社・森本敦士撮影)

サダソウ(森本敦士撮影)

 牧野富太郎は、明治32(1899)年8月、岐阜市に滞在している。日記に「飯沼氏并(ならび)ニ三浦氏ニ案内セラレテ鵜飼ヲ見ル」とある。この岐阜滞在中に、植物の名称に関して牧野はちょっとした発見をすることになる。その経緯を見てみよう。

飯沼慾斎翁事跡聞書(個人蔵)

飯沼慾斎翁事跡聞書(個人蔵)

「佐田サウ」のメモ書き(個人蔵)

「佐田サウ」のメモ書き(個人蔵)

 岐阜で「飯沼氏」と言えば、岐阜県大垣の出身で医家・本草家であった飯沼慾斎(よくさい)=1783~1865年=を思い起こされる。牧野が出会ったのは、時代的に見て慾斎の一族の子孫である。慾斎は「草木図説」(1853~1862年)の著者として名高い。日本の植物図鑑の先駆けと評価される「草木図説」は、2度にわたって改訂版が出されている。最初が田中芳男と小野職愨(もとよし)によって明治8(1875)年に出版された「新訂草木図説」であり、牧野が明治14年に田中と小野に初めて会ったときに飯沼の著書を教えてもらい購入したのではないかと思う。…

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