2024年 04月28日(日)

現在
6時間後

こんにちはゲスト様

高知新聞PLUSの活用法

2022.10.27 05:00

「寿衛との新生活」シン・マキノ伝【24】=第2部= 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

SHARE

若き日の牧野富太郎と壽衛 (高知県立牧野植物園蔵

若き日の牧野富太郎と壽衛 (高知県立牧野植物園蔵

 牧野富太郎は、自叙伝のなかで自分の妻・寿衛のことを語っている。見出しを挙げると「可憐の妻」、「妻の死と『すえこざさ』の命名」、「亡き妻を想う」などである。2人の出会いは、牧野が本郷にある大学へ行くとき飯田町の小さい菓子屋の前を通りながらその店の娘を見初めたことがきっかけで、人を介して嫁にもらったという。それは明治23(1890)年頃、牧野が27、8歳のことであった。仲人は石版印刷屋の太田という人で、その頃、先述したように牧野は郷里に帰って自分で植物図譜を作るため石版刷の技術を習っていた時であって、その太田に仲人役を頼むことができた。寿衛の父は彦根藩士で小沢一政といい、陸軍の営繕部に勤めていた。飯田町にある大きな邸宅に暮らし、母は京都の出身で、寿衛は末の娘であった。寿衛は娘の頃は経済的に恵まれていたが、父が亡くなって邸宅も売り、母は数人の子供を連れて飯田町で小さな菓子屋を営んでいた。そこでの出会いである。「まあ恋女房という格ですネ」とサラリと言ってのける辺りに、それだけ牧野の喜ばしい気持ちが感じられる。

 結婚については牧野の個人的なことなので、自叙伝でつまり本人が語っている事柄で十分ではあると思うが、…

この記事の続きをご覧になるには登録もしくはログインが必要です。

高知のニュース WEB限定 牧野富太郎 シン・マキノ伝

注目の記事

アクセスランキング

  • 24時間

  • 1週間

  • 1ヶ月