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2022.10.02 08:40

町の自転車屋さん健在 和田自転車店 一筋75年 3世代の客も―ちいきのおと(90)入明町(高知市)

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パンクしたタイヤを修理する新枝康幸さん。多い日は1日10台以上引き受ける(写真はいずれも高知市入明町の和田自転車店)

パンクしたタイヤを修理する新枝康幸さん。多い日は1日10台以上引き受ける(写真はいずれも高知市入明町の和田自転車店)


 高知市入明町の街角に、戦後すぐから続く「和田自転車店」がある。毎朝8時に開店。この道65年という職人が丁寧に手入れし、3世代にわたって通う客も。長く住民に親しまれている、町の自転車屋さんにお邪魔した。

午前8時きっかり開店 地域の「時計台」に
レトロな雨戸を開ける和田紀さん

レトロな雨戸を開ける和田紀さん

 午前7時50分過ぎ。職人の新枝(にいえだ)康幸さん(81)が店の前に姿を現す。店主の和田紀(のり)さん(78)も店の外に出てきた。創業時のままという雨戸をがらりと引けば開店。腕時計の針を見れば、ちょうど8時を指していた。

 すぐさま新枝さんは、くたくたの段ボールが敷かれた作業場へ。客から預かった自転車を引っ張りだしてタイヤをもみもみ、パンク修理を始めた。時折、顔を上げては店の前を通り過ぎる顔見知りに「おはよう。今日は荷物多いね」「涼しいき、(帽子が)いらんねえ」と声を掛ける。「荷物が重い」「そうながよ」の返事にうなずく。

 紀さんは「時間をきっかり守る人やき、この前を通る小学生に『ここは時計台』って言われるのよ」。うふふと笑う。

      ◇

昭和12年ごろに撮影されたという写真。中央に座る義秀さんの手には一升瓶が(和田紀さん提供)

昭和12年ごろに撮影されたという写真。中央に座る義秀さんの手には一升瓶が(和田紀さん提供)

 紀さんの義父、和田義秀さんが、ここに商店を構えたのは1937(昭和12)年ごろ。土佐郡土佐町出身で、「おしょうゆ瓶1本で始めた」という。酒や塩を売り、10年ほど後に全面ガラス張りの自転車店を建てた。「店に並ぶ自転車が広告なの。おしゃれでしょう」。義秀さんは1989(平成元)年に亡くなり、紀さんが後を継いだ。

 作業を一手に引き受ける新枝さんは城東中学校を卒業後に「なりゆきで」就職し、自転車を拭くことから始めた。当時はスポークを一本一本、リムとハブにつないで「ホイールを組めたら一人前」の時代。客には「お兄ちゃん」と呼ばれ、見よう見まねで仕事を覚えた。

 「大将」と呼んでいた義秀さんの死後も店を支える。お客さんには30年以上大事に乗り続けている人や、親子で1台を乗り継いだ人も。「今も『お兄ちゃん』と呼ぶ人もおるで」という。

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夕暮れ時、新枝さんとおしゃべりを楽しむ子どもたち

夕暮れ時、新枝さんとおしゃべりを楽しむ子どもたち

 放課後。学校帰りの生徒たちが「空気入れさしてー」「パンクしたかもしれん」。次々とやって来た。

 「お客さんは学生がほとんど。前はみんな自転車に乗りよったけど、今は車やろ」と新枝さん。紀さんは「昔ほどのにぎやかさはなくなったけど、子どもに元気をもらいゆう」とにっこり。

 午後5時半の閉店間際。空気を入れに、妙齢の女性が駆け込んで来た。印象を問えば、「腕が確かで人柄もいい。地域の宝、人間国宝よ。ずっとおってよ」。黙々と作業していた新枝さんは「助成金がもらえるならえいけんど」と照れたように返した。

 「この人がおってこそ店ができる。後任は考えてないね」と紀さん。「お互い頑張らんと」と2人で顔を見合わせ笑った。(報道部・玉置萌恵)


《ちょっとチャット》
畑山羽琉(はる)君(7)付属小2年
 学校から家の車が見えるぐらい近くて、通学は楽。朝7時半ごろ家を出ると、近所のおばちゃんが「おはよう」ってあいさつしてくれてうれしいです。学校では本を読んだり、虫捕りしたり。休みの日は、4歳の妹と手をつないで近くのコンビニまで散歩します。町を2周するから運動にもなるし、楽しいです。




 入明町は高知城の北、JR入明駅の南側に位置。1971年には交通混雑の緩和を狙い、鉄路の下をくぐり抜ける県内初の地下道式立体交差がお目見えした。2022年9月1日現在、279世帯406人。

高知のニュース 高知市 街ダネ ちいきのおと

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