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2022.09.25 08:38

サーフィン文化 民宿で支える 91歳 谷口さん 半世紀の歩み見守り―ちいきのおと(89)生見(東洋町)

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「サーフィンのおかげで今の生見がある」と話す谷口猶美さん(左)。孫の絵里菜さん(右)は元プロサーファーだ=東洋町生見の民宿谷口

「サーフィンのおかげで今の生見がある」と話す谷口猶美さん(左)。孫の絵里菜さん(右)は元プロサーファーだ=東洋町生見の民宿谷口


 どこまでも広がる青い海と、南北に延びる白い砂浜。休日になれば、サーフボードを持った人々がこぞって波に向かっていく。今や国内有数のサーフスポットとなった生見海岸がある安芸郡東洋町生見。国道55号沿いで「民宿谷口」を開業した谷口猶美(なおみ)さん(91)は、生見でサーフィン文化が育まれてきた半世紀の歩みを間近で見守り、支えてきた一人だ。

 「おばあちゃん、また来たよ~」

 お遍路さん、ビジネス客、そしてサーファーたちが声を弾ませて民宿にやって来る。息子の妻と孫との3世代で切り盛りする民宿はリピーターも多く、いつもアットホームな雰囲気だ。

食事時は和やかに歓談。アットホームな雰囲気の民宿谷口

食事時は和やかに歓談。アットホームな雰囲気の民宿谷口

 猶美さんは90歳を超えても元気いっぱいでチャーミング。孫、絵里菜さん(43)の交流サイト(SNS)にもたびたび登場しては魅力を振りまき、ちょっとしたアイドル的存在で親しまれてもいる。

 そんな猶美さんに、昔の様子を尋ねてみた。「最初、この国道沿いには何もなかった。サーフィンが入ってきて、景色が変わっていったんよ」。優しい表情で語り始めた。

 □  □ 

 生見とサーフィンが結び付くきっかけが生まれたのは約50年前。後に「生見海岸育ての親」となる徳島県出身のサーファー、故・一楽良二さんが生見の波に一目ぼれし、民家がぽつんとあるだけの土地に移り住んできた。

故・一楽良二さん

故・一楽良二さん

 その頃は農家として汗を流していた猶美さん。「一楽さんは、来てすぐに民宿を始めてね。行動力がすごかった。人柄も親しみやすかったね」と懐かしむ。

 次第に生見の人々とも打ち解けていった一楽さんは、サーフィンの魅力PRに奔走。大会の開催にもこぎ着け、徐々にサーファーが訪れるようになった。だが当時、生見には人が泊まれる場所がほとんどなかった。「寝床がほしい」。サーファーたちの要望を伝え聞いた猶美さんは、農作業で使っていた倉庫を寝床に提供したという。

 「木の台にむしろを敷いただけ。なのに毎日5、6人は寝ていたよ」と笑う猶美さん。「あまりに人が来るものだから…」と民宿を営み始めた。一楽さんがまいた種は、着実に生見を変えていった。

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サーファーや見物客でにぎわう生見海岸。国内有数のサーフスポットとして定着した

サーファーや見物客でにぎわう生見海岸。国内有数のサーフスポットとして定着した


 その後も生見では、元々の住民や移住したサーファーらが民宿やサーフショップを開業。今では10軒以上が軒を連ね、レストランなどもお目見えした。

 そんな中、今後のまちづくりを担う人材も。約30年前に大阪から移住して民宿を営む金沢直一さん(48)は言う。「サーフィンあっての生見。景観の向上や『サーフィンの駅』みたいなものを作れれば、もっと盛り上げていける」

 笑顔でボードを担ぐ人々の姿がすっかり溶け込んだ生見の風景。「倉庫から始まって、いろんな人たちと縁ができた。サーフィンのおかげやね」と感慨深げな猶美さん。一楽さんの写真を手に「いつまでもこの文化が続いてほしい」とほほ笑んだ。(室戸支局・板垣篤志)


《ちょっとチャット》
畑山弘太君(7)甲浦小1年
 夏休みは毎朝6時に起きて、友達とセミやトンボなどいっぱい虫を捕った。海でキスを釣るのも楽しいし、冷たい川を泳ぐのも気持ちがいい。生見は自然がいっぱいあって面白い。最近はカードゲームにもはまっているけど、外に出て友達といろんな場所に行くのが、やっぱり楽しいな。 

 東洋町中東部の生見は、野根と甲浦の中間に位置し、町役場や消防署などが置かれる。ポンカンなどのかんきつ類栽培が盛んで、12月には国道55号沿いに露天などが並ぶ「ポンカンロード」がお目見えする。生見海岸ではサーフィンの世界大会も開かれた。8月末現在、69世帯119人。

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