2022.08.28 08:35
保育の父・佐竹音次郎の業績を後世に 郷土が生んだ福祉の先駆者 授業・案内板・資料収集…有志ら顕彰続ける―ちいきのおと(85)竹島(四万十市)
佐竹音次郎の業績について話し合う「学ぶ会」メンバーら(四万十市竹島の下田地区竹島防災コミュニティセンター)
明治―昭和期、貧困などさまざまな事情で居場所を失った5千人以上の子どもを「わが子」として育てた佐竹音次郎(1864~1940年)。彼が生まれ育った四万十市竹島では、有志らが結成した「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」のメンバーが、業績を後世に伝えようと、地道に活動を続けている。
音次郎は地元で教員を務めた後、上京して医師に。30歳で神奈川県の腰越に医院を開業し、2年後に身寄りのない子たちを預かる「小児保育院」を併設した。
孤児院としなかったのは「自分たち夫妻が親になるのだから孤児ではない」との思いから。実子とも分け隔てなく面倒を見た。やがて医院をやめ、保育事業に専念。42歳で鎌倉小児保育園(後の鎌倉保育園)を開設し、海外にも施設を開いた。正確には不明だが、76歳で病没するまでに5千人以上を育てたとされている。
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