2024年 05月05日(日)

現在
6時間後

こんにちはゲスト様

2022.08.27 08:43

アートの島を歩く 100万人呼ぶ「瀬戸内国際芸術祭」(香川・岡山) アートが島々を変えた―ニュースを歩く

SHARE

高松市の男木島に展示されている「歩く方舟」。ユニークな現代アートが島の風景に溶け込む

高松市の男木島に展示されている「歩く方舟」。ユニークな現代アートが島の風景に溶け込む


 現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭2022」が、瀬戸内海に浮かぶ香川県や岡山県の島々などを舞台に開かれている。

 2010年から3年に1度開催。前回19年には国内外から約118万人が来場し、全国トップクラスの人気を誇るアートイベントに成長した。

 「瀬戸芸」が始まる前、島では人口減が進み、「見せるものは何もない」と語る地元の人も少なくなかった。しかし、島を訪れたアーティストたちは「この島だからある」ものに着目し、現地の風景に溶け込む作品をつくっていった。

 このうち、ある島では「瀬戸芸」をきっかけに子育て世代が移住し始め、休校になっていた小中学校が再開した。ハンセン病患者が療養所に強制隔離されてきた島では、暗い過去にアート作品が光を当てている。

 今日も夏空の下、多くの来場者が港に集まり、島を巡って作品を探し歩いている。記者も乗船切符を手にし、「現代アートの聖地」に向かった。

「空の玉」。鉄の球体の中に入り、渓谷と瀬戸内海を一望できる(香川県小豆島町の寒霞渓)

「空の玉」。鉄の球体の中に入り、渓谷と瀬戸内海を一望できる(香川県小豆島町の寒霞渓)

作品含め その土地を鑑賞
 香川県や岡山県の島々や港を舞台とする「瀬戸内国際芸術祭2022」は今年4月に開幕。今は夏会期の真っ最中で、猛暑にもかかわらず連日多くの来場者が全国から訪れている。何が島に人を引きつけるのか。現地を訪ね、年間100万人以上を呼ぶ一大イベントの魅力を探った。

 赤と白のしましま模様のフェリーが汽笛を鳴らして高松港に入ってきた。高松―女木島―男木島を結ぶ船「めおん」だ。待ち構えていた100人ほどが一斉に乗り込むと、船内はすぐに満席になった。客層は10~30代が7割ぐらいと若く、中国語や韓国語も聞こえてくる。

 「前回の『瀬戸芸』は、こんな人数じゃなかった。お客で船が沈みそうだったんだから」と笑う船員。コロナ禍の影響で「前回より3割ほど少ないんじゃないか」と話す。

■三毛猫ちょこんと
 船に揺られて40分。古い民家が段々畑のように立ち並ぶ男木島に着いた。来場者が島に降り立ち、真っ先に見るのが地図。迷路のような坂道をたどりながら、作品がある場所まで見に行かなくてはならない。

 道すがら目を引くのは100年以上前から同じ姿で残っている石垣や、その上にひしめき合うように立つ家々。外壁には船板を豪快に張り付けた家もあり、この島ならではの風景に出合う。

 「瀬戸芸」作品の特徴は、その島独自の自然、文化、暮らしなどを取り入れて作品化している点だ。男木島では、昔にタイムスリップしたような古民家や石垣に囲まれた路地などに作品の多くが展示されている。来場者はアートと一緒にその土地を鑑賞し、体験することになる。

 坂道を上りながら、ふと見ると細い石段の先に三毛猫がちょこんと座り、こちらを見ていた。2、3歩足を進めるとあくびを一つして歩き去った。島には70匹ほど「島猫」がすみ、人気者になっている。

 高台にあったのは「男木島パビリオン」という作品。そこに立つ家の大きな窓からは瀬戸内海が一望できる。窓ガラスには島名産のタコや海を行き交う船などを描き、現実と想像の世界を一体化させている。穏やかな海と島々が見渡せる島一番のビュースポットのこの場所でないと成立しないアートだ。

■復活した学校
 舞台になっている島々は、高知県の中山間地域と同様に過疎と高齢化が進んでいた。男木島では2008年に小学校が、11年には中学校が休校し、中学校までの「子どもゼロの島」になっていた。

 ところが、休校していた小中学校が14年に再開した。「瀬戸芸」で島を訪れた子育て世代の家族が移り住んできたのだ。学校再開への活動の中心になったのが福井大和さん(44)。13年の第2回芸術祭に関わったのをきっかけにUターンを決意し、妻と娘の3人で故郷の島へ戻ってきた。

 「瀬戸芸に携わる中で、あと20年もたてば島のコミュニティーが消えてしまうと分かったんです。アートで男木島の魅力が発信、注目される今、手を打たなければと考えました」と福井さんは語る。

 福井さん家族ら4世帯の移住希望者は、13年秋に島民らの署名と共に学校再開の要望書を高松市に提出。14年4月から6人が通う男木小中学校が再開した。16年には新校舎が完成し、現在は小学生6人、中学生4人が通っている。

 今、福井さんは男木地区コミュニティ協議会の会長として地域の世話役を務める。移住してきた若年層と、高齢者層が協調して暮らせる地域づくりを目指している。

 力を入れるのは子育て世代の移住促進で、「教育環境の充実はとても大切」と妻の順子さん(47)。NPO法人「男木島図書館」を開設し、島民や子どもたちに本を貸し出すだけでなく、ほかの移住者と一緒に読み聞かせ活動も行っている。

 島の人口は現在、約150人。そのうち約50人がUIターンなどの移住者で、過半数が子育て世代だ。島民が言う「島の宝」の子どもたちが、「瀬戸芸」を機に島に戻っている。

■開かれた島へ
 瀬戸内に浮かぶ島の中には、負の歴史を背負った島もある。ハンセン病元患者の療養所「大島青松園」がある大島だ。現在39人が入所しており、静かに暮らしている。

 「瀬戸芸」開催が決まった15年ほど前、大島が参加することに香川県などの関係者は驚いたという。ハンセン病や療養所、入所者の存在は、目立たさない方がいいと思う人も多かったからだ。

 だが、入所者たちの考えは違った。「ここで生きてきた事実を、国の隔離政策の過ちを、たくさんの人に知ってもらう機会にしたい」と願ったという。

 大島は高松港から小型船で30分ほどで着く。松林が続く浜辺を通り、かつて入所者が暮らした寮に足を運んだ。屋内にあったのは「海のこだま」というアート作品。古びた手こぎの小さな木造船の展示だった。

 この作品を手掛けたのは、芸術家で愛知県立芸術大教授の高橋伸行さん(54)。浜辺の砂の中で朽ちかけていた船を高橋さんが発見し、「入所者の方々と対話を重ねるうち、絶対に作品展示すべきだと思いました」。

 数十年前、沖釣りをするのを許され、入所者たちが初めて隔離されている島から少し出られたときの船だった。「入所者の皆さんはこの船で沖へ出た思い出を、本当にうれしそうに話します」と高橋さんは語る。

「解剖台」。作品ではないが、芸術祭を機に展示されている(高松市の大島

「解剖台」。作品ではないが、芸術祭を機に展示されている(高松市の大島

 一方、この船に向かい合うように置いてあるのが「解剖台」。大島ではかつて、療養所に入所するときに亡くなった際の遺体解剖の承諾が求められていたという。コンクリート製の台は大きくひびが入り、フジツボが張り付いている。1996年にらい予防法が廃止された直後、入所者らが海に投げ捨てたものだとも言われている。

 これも高橋さんらが芸術祭を機に海から引き揚げてきたものだ。「入所者の方々にとって解剖台は恐ろしく、公開には苦痛を伴ったはず」と高橋さん。「ですが、『見てもらわなければ分からない事実がある』と展示を受け入れてくれました」と語る。

 今年はコロナ禍で入所者との交流は難しいものの、「瀬戸芸」のたびに5千人を超える来場者が大島を訪れる。かつて島へは療養所関係者のみが利用する船しかなかったが、2019年から一般客が乗船できる定期航路が始まった。入所者が望む「開かれた島」へ―。瀬戸内の島々を巡れば、社会を変えるアートの力を感じることができる。(高松支局・久保俊典)


展望をつくる切り口に 総合ディレクター・北川フラムさん語る
「アートで地域の魅力を発信したい」と語る北川フラムさん

「アートで地域の魅力を発信したい」と語る北川フラムさん

 5回目の開催となった「瀬戸内国際芸術祭」。祭典の仕掛け人で、総合ディレクターを務める北川フラムさん(75)に、その意義を聞いた(以下談)。

 「瀬戸芸」は島をメインに行うことに意義がある。島は過疎と高齢化がきつい。島に住む人たちに元気になってもらうのがテーマだ。島に生きてきた誇りに伴走し、その誇りを土台にもう一度、島の展望をつくりたい。そのための切り口がアートだ。

 島では人口が減り、これ以上減るとコミュニティー崩壊の危機につながる。だが、島には今も人が住み、50年前はもっと大勢の人がいた。暮らしてきたのは、住むべき理由があったからだ。その理由こそ地域の財産であり、資源だ。それをきちんと把握し、発信するのが地域づくりの第一歩になる。

 アーティストは情報発信に向いている。直感力に優れ、何かを発見する能力にたけているからだ。「瀬戸芸」の作品はその土地の影響を受け、深い関わりを持つ。それは島の自然や歴史、生活などで、地元では見慣れたもの。アーティストはそこに「宝」を発見し、作品として外に発信する。

 作品の制作場所は私有地がほとんどで、許可を取るのも大変。空き家一つ使うのも100年分たまった掃除をしなければいけない。住民との間を取り持ち、制作を手伝うボランティアサポーター「こえび隊」の存在は大きい。約8千人の登録があり、成功の立役者となっている。これだけの数の人が手弁当で参加してくれるのは、アートが持つ楽しさとともに地域を元気にするという普遍的な旗を掲げているからだ。

 高知県は芸術祭の舞台に決定的に向いている。高知の「山」の集落は、「島」と同じ。近代から取り残され、スポイルされてきた土佐の山間にこそ、強いメッセージ性のある作品が生まれるはずだ。牧野富太郎を生かすなど、世界にどこにもない芸術祭ができるのではないか。


今や瀬戸内は「聖地」 「ひな型」は直島から
「赤かぼちゃ」。草間彌生の作品で、来場者を港で出迎えてくれる(香川県の直島町)

「赤かぼちゃ」。草間彌生の作品で、来場者を港で出迎えてくれる(香川県の直島町)

 瀬戸内国際芸術祭が開催されるたびに人が詰め掛け、今や瀬戸内は「アートの聖地」と評価される。島々に芸術の波が押し寄せたきっかけは、水玉模様のカボチャの展示で有名な香川県の直島にある。

 直島はアートによる町づくりの先駆例だ。1985年、当時の直島町長だった三宅親連(ちかつぐ)氏の「島に文化的なエリアをつくる」との構想に、岡山県出身で福武書店(現ベネッセホールディングス)創業者の福武哲彦氏が賛同したのが始まり。

 町と福武書店が協力し、89年に建築家、安藤忠雄氏の監修で「直島国際キャンプ場」が完成。海に突き出した桟橋には現代美術家、草間彌生氏の「かぼちゃ」(94年)が設置され、直島ブームに火を付けた安藤氏設計の「地中美術館」(2004年)などが次々にできた。

 同美術館が島の風景を損なわないよう地中に埋設させているように、それぞれのアートは直島の自然や景観に合わせて制作されている。「島本来が持つ美しい環境を楽しみながら作品を鑑賞する」。このアート体験の手法で成功したのが直島だった。「瀬戸芸」があった19年は直島に75万人が訪れた。

 「瀬戸芸」の総合ディレクター、北川フラム氏は「全国では地域で行う現代アートに地元の否定的な見方もある。だが、瀬戸内には直島が示した成果があった」と説明する。直島のアートのひな型が、「瀬戸芸」となり島々に広がっている。

 《ズーム》瀬戸内国際芸術祭 香川、岡山両県の瀬戸内海に浮かぶ島々を舞台に、3年に1度開催されるアートの祭典。直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島を中心にした12の島と高松港、宇野港の二つの港が会場となっている。2010年に始まり、今年で5回目。日銀高松支店は前回19年の経済波及効果を180億円と試算する。今年は33の国と地域から184組のアーティストが参加し、214の作品を展示する。会期は計105日間で、3シーズンに分けて開かれる。既に終了した春会期(4月14日~5月18日)に続き、現在は夏会期(8月5日~9月4日)が開催されている。秋会期は9月29日~11月6日。コロナ対策として実行委員会が検温や入場者数の管理などを実施している。

高知のニュース 観光 美術・アート ニュースを歩く

注目の記事

アクセスランキング

  • 24時間

  • 1週間

  • 1ヶ月