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2022.08.19 08:25

日本サッカーの進歩支え 成田十次郎さん 重鎮とも親交

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Jリーグ初代チェアマン・川淵三郎さん=右=とも親交が深かった成田十次郎さん(2019年1月14日、高知市内のホテル)

Jリーグ初代チェアマン・川淵三郎さん=右=とも親交が深かった成田十次郎さん(2019年1月14日、高知市内のホテル)

 7日に亡くなった成田十次郎さんは1945年春、旧制城東中に進み、戦後間もなくサッカーを始める。東京教育大生の頃、招集された日本代表候補合宿で長沼健さん、岡野俊一郎さん(ともに後の日本サッカー協会長)と出会った。川淵三郎さん(Jリーグ初代チェアマン)も含め、サッカー界の重鎮たちと親交が深かった。

 西ドイツから招聘(しょうへい)した指導者デットマール・クラマーさんについては、情報を集め自宅や職場を訪ねて対話を重ねるうち、「この人しかいない」と確信を深めた。

 競技を問わず代表チームを外国人に委ねることがまれな時代。日本人監督の補佐役にという意見が根強い中、「クラマーさんを中心に長沼、岡野ら若手に強化を委ねるべき」との成田さんの主張が通った。

 クラマーさんは日本を強くする「使命感」と、日本人に対する「尊敬と愛情」で、成田さんの信頼に応えた。そこから生まれたのが、日本人向きの正確で速いパス回しと豊富な運動量に支えられたサッカー。現在の日本代表にも、脈々と受け継がれている。

 成田さん自身も、東京教育大サッカー部監督として、西ドイツ留学で学んだ「理想のサッカー」を実践。攻守の切り替えが早く後ろから怒濤(どとう)のように攻め上がるために、当時主流だった「2・3・5」でなく「4・3・3」のシステムを導入した。部の運営は「下級生も平等な発言権を持つ」「練習の準備は授業が早く終わった部員、特に上級生がする」と民主的だった。

 また、地域スポーツが盛んなヨーロッパの現状を見て、文部省(当時)のスポーツ少年団普及活動に力を入れた。

 さらに、「体育」から「スポーツ」への時代的な変化に対応。多くの大企業も参画する国の「スポーツ産業研究会」設立に関わり、自ら委員を務めた。今やっと時代が成田さんに追い付いてきたのかもしれない。(編集委員・細川喜弘)

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