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2022.08.20 05:00

「精密模写された日本地図」シン・マキノ伝【3】 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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 牧野富太郎は自らを「草木の精」と言い、「遂(つい)にはわが愛人である草木と情死し心中を遂げる事になるのでしょう」と言うほど植物を愛しともに生きた。どうしてこんなにも植物が好きになったのであろうかと思ってしまうが、「生まれながらに草木が好きであった」と牧野はサラリと言う。格別の理由もなく何とはなしに、というのが牧野らしいとも思う。

 子供の頃の植物にまつわる思い出が、晩年に著した植物随筆である「植物一家言」(北隆館、1956年)や「植物随筆 我が思ひ出(遺稿)」(北隆館、1958年)に見いだせる。その一つが「我(わ)が思ひ出(遺稿)」の「寒蘭」と題した記事である。それによれば、子供の頃、よく山へ寒蘭を探しに行き、寒蘭の葉は縁がすべすべして、春蘭はそれががりがりとしているということを教えられた。そこで山へ行っては幾度も葉をこいで見るが、どれもざらざらしているもので、根気よく訪ね回るうちに寒蘭を見つけ出した。早速鉢に植えたところ冬に花が咲きよい香りを漂わせたということである。

 「植物一家言」には「思ひ出の深い花の咲くヤバネカズラ」という記事がある。それによれば、明治8年頃、同郷の国枝義光が東京からはるばる送ってくれた種子袋にThunbergia alataの学名が書かれてあった。この種子を裏庭に播(ま)いたところ、蔓(つる)が生長しやがて高盆状の橙黄色した花が咲いた。花筒の口部が紫黒色で、花面の中央に一つの黒眼があるようである。これを写生し、後年ヤバネカズラと名付けた。アフリカ熱帯産の植物で、ヤハズカズラとも言う。伊藤圭介(後述)の「泰西本草名疏」の口絵には、江戸時代来日して日本の植物を研究したツュンベルクの肖像画が載るが、その傍らに描かれた植物は、彼に献呈された属名を持つこの植物であるということである。

 このように寒蘭を探しに山へ行き春蘭との見分け方を実地で会得したり、珍しい種子を入手して庭に播き観察や写生を行ったり、子供の頃すでに牧野は植物と真剣に向き合っていたことが分かる。

牧野が少年時代に模写したとみられる精密な日本地図(個人蔵)

牧野が少年時代に模写したとみられる精密な日本地図(個人蔵)

 ヤバネカズラの思い出の中には、国枝が「西画指南」という本を恵んでくれたとも書かれる。この本は明治4(1871)年に出版された西洋画の入門書で、上等小学の教科書に指定された。内容として、直線や曲線および植物の輪郭の描き方、植物や建物などの陰影のつけ方が説明される。牧野は自叙伝などで、絵を習ったかどうか、あるいはいかにして植物の描画を習得したかということについてまったくと言っていいほど語っていない。こうした本が、牧野が植物の描き方の基礎を学ぶ手本となったと想像される。
 
 また、牧野は前回述べたように、地理書に興味をもち地図の作成を試みたことを自叙伝で言及している。記念庭園には、そうした若い頃に写したと見られる地図が保管される。明10年代前半の年紀のある地図を見ると、とにかく細かい。まるで印刷された地図かと見まごうものもある。境界線も地形の概要を表わすケバも細いラインで示される。その上、書き込まれる地名の文字の小さいこと。細いきれいなラインを引いて細かで丁寧な書き込みをすること、これらは植物図を描く技と共通する。こうした地図の模写や製作が、牧野式と言われる後年の詳細で緻密な植物画を生み出すための技巧の習得に役立ったのではないであろうか。(田中純子・練馬区立牧野記念庭園学芸員)
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 長期連載企画「シン・マキノ伝」は、生誕160年を今年迎えた高知県佐川町出身の世界的植物学者・牧野富太郎の生涯をたどる最新の評伝です。筆者は東京の練馬区立牧野記念庭園の田中純子・学芸員です。同園は牧野が晩年を過ごした自宅と庭のある地にあり、その業績を顕彰する記念館と庭園が整備されています。田中学芸員は長らく牧野に関する史料の発掘や調査を続けている牧野富太郎研究の第一人者です。その植物全般におよぶ膨大な知識の集積、目を見張る精緻な植物図の作成、日本全国各地の山野を歩き回ったフィールド・ワーク、およそ40万枚もの植物標本の収集、そしてその破天荒ともいえる生き方……。新たに見つかった史料や新しい視点で田中学芸員が牧野富太郎の実像を浮き彫りにする最新の評伝を本紙ウェブに書き下ろします。牧野博士をモデルにしたNHK連続テレビ小説「らんまん」が始まる来年春ごろまで連載する予定です。ご期待ください。
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 たなか・じゅんこ 1964年、東京生まれ。上智大学大学院修士課程卒業(歴史学専攻)。中高等学校で教師を勤めた後、東京国立博物館で江戸から明治時代にかけての博物学的資料の整理調査に当たる。2010年、リニューアルオープンした練馬区立牧野記念庭園記念館の学芸員となり現在に至る。植物学者・牧野富太郎をはじめ植物と関わったさまざまな人たちの展示を手掛ける。

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