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2022.06.26 08:37

深い愛着 親から子へ―20歳のマイレール 地域と歩む ごめん・なはり線(1)

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「いろいろ行ったね」。ごめん・なはり線の車内で談笑する西内博子さん=左=と萌々子さん。手元には、これまで使った1日乗車券がどっさり(安芸市下山)

「いろいろ行ったね」。ごめん・なはり線の車内で談笑する西内博子さん=左=と萌々子さん。手元には、これまで使った1日乗車券がどっさり(安芸市下山)

 いつの頃からか集め始めた1日乗車券は、優に300枚を超えた。車の運転免許を持たない西内博子さん(49)=安芸市土居=が市外に出かける際の移動手段は、もっぱら土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線。月に3、4回ほど1日乗車券を買って、はや20年になった。

 「買い物や映画で高知に行って、夜はそのまま奈半利に飲みに行って。こんなに乗りゆう人おらんがやない? おかげで高知ライフが充実しちゅう」と笑う。

 吾川郡いの町出身の博子さんは高校時代、汽車で高知市内に通い、路面電車も身近だった。進学で上京し、安芸市出身の洋一郎さん(53)と結婚。1998年、1歳だった長女、萌々子さん(25)と3人で安芸に移ると、公共交通機関がバスしかなく驚いた。

 「バスは1時間以上遅れることもあって。だから、ごめん・なはり線が開業した時は、本当にうれしかった」

 博子さんは萌々子さんと列車で出かけ、故やなせたかしさんがデザインしたマスコットキャラクターにふんする「ゴトゴト着ぐるみ隊」でも活動。盛り上げに一役買ってきた。

 そんな母の姿を間近で見てきた萌々子さんには「列車はあって当たり前」の存在。高校進学時はやりたい部活動がある高知市内の学校を選び、ごめん・なはり線で通った。博子さんは言う。「私らの時代は、安芸の子は下宿しよった。選択肢が広がったのは確かやね」

 就職後も2年間、ごめん・なはり線で通勤した萌々子さん。今は転勤に伴って須崎市で暮らすが、「高知市内でお酒を飲んだら、汽車で須崎に帰らず、安芸の実家に帰ることもある。こっちの方が乗り慣れちゅうき」と笑う。友人が安芸に訪れた際も列車で案内することもあるといい、ごめん・なはり線への愛着は、しっかりと引き継がれているようだ。

 ある週末の夕方。実家に帰っていた萌々子さんと博子さんは、奈半利駅舎にあるレストランに向かうため列車に揺られていた。窓の外に広がる太平洋を見つめ、博子さんはつぶやいた。「もう20年ながやね。何回も見ちゅうけんど、やっぱりこの景色が好きやねえ」(安芸支局・宮内萌子)

 ◇ 

 ごめん・なはり線が2002年7月1日に開業して20年。地域とともに歩み、沿線に溶け込んだマイレールへの思いを人々に聞く。

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