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2022.04.01 08:45

明治期からの500紙以上、全国各地の歴史伝える「牧野新聞」全容調査に期待

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牧野新聞を調査した氏原和彦さん。「高知の近代史を読み解く貴重な史料」と話す(高知市の市立自由民権記念館)

牧野新聞を調査した氏原和彦さん。「高知の近代史を読み解く貴重な史料」と話す(高知市の市立自由民権記念館)

 日本植物学の父、牧野富太郎博士らが植物標本を作る際に使用した新聞から、明治期などに高知県内で発行されていた古い紙面が新たに確認された。関係者は「ほかにも全国各地の古い新聞がある。各地の歴史を知る一助になる」と調査の必要性を訴えている。

 植物標本作りは、採集したばかりの植物の水分を取るため紙で挟むことから始まる。

 県立牧野植物園(高知市五台山)の担当者によると、「吸水性が高く、どの土地でも安く手に入りやすい」新聞がベスト。昔も今も、植物採集に出掛ける際には必ず新聞を持参するという。

 牧野博士は北海道から奄美大島まで全国津々浦々を調査。各地で新聞を購入したり、旅館や現地の人に分けてもらったりして標本を作り、持ち帰っていた。

全国の地元新聞がずらり。牧野博士が植物名を書き残したものや、虫食い跡があるものも(県立牧野植物園)

全国の地元新聞がずらり。牧野博士が植物名を書き残したものや、虫食い跡があるものも(県立牧野植物園)

 また、全国各地の植物愛好家が地元新聞に挟んだ植物を博士に送っており、1957(昭和32)年に博士が亡くなった時、東京・練馬区の自宅には約40万点に上る標本が残されていたという。

 標本は翌年、東京都立大学の牧野標本館に移されたが、古新聞は廃棄されることに。そこで「待った」をかけたのが、東京大学の研究機関「明治新聞雑誌文庫」だった。

 時事ネタから広告まで情報がちりばめられた新聞は、その時々の社会を知る手がかりになる。同文庫は原紙を所蔵していなかった「樺太民友新聞」や「海南時報」(和歌山)、「諌早新聞」(長崎)、「羽陽週報」(山形)、「関門日日新聞」(山口)、「満州新報」など国内外の546紙(6500枚以上)を「牧野新聞」として保管した。

 その他の新聞は98年に同園に届けられたが歴史研究は同園の研究対象外。常設展や企画展で展示したこともあったが、多くは段ボールに入ったまま倉庫で眠っていたという。

 高知県分の新聞の調査が動きだしたのは、高知市立自由民権記念館の学芸員、氏原和彦さん(63)が2020年に手を付けてから。同園に通っては一枚一枚を繰り、本県分の計27紙(約2千枚)を確認。中には〝お宝〟級の500枚もあった。

 「これは珍しくて面白いですよ」と、氏原さんが手に取ったのは1925(大正14)年の「高知又新(ゆうしん)」。題字下には食堂や眼鏡店などの広告が並び、スキャンダル記事も。「今で言う週刊誌っぽいですね」

 発見された新聞の内容について調査が進めば、明治期の自由民権運動や大正デモクラシーなど、県の近代史研究がより進むと見る。ただし「全部読み込むには量が膨大すぎ、マンパワーが足りません。県史編さんに合わせて調査できればいいんですけど」(氏原さん)。

 
植物を一つ一つ丁寧に新聞に挟み、標本を作る(県立牧野植物園)

植物を一つ一つ丁寧に新聞に挟み、標本を作る(県立牧野植物園)

一方、牧野新聞の価値に気づき、2017年から調査してきた自治体もある。沖縄県だ。

 地上戦で多くの歴史資料が焼失しており、多方面から史料を探し集めてきた。県史編集事業の一環で17年から同園に研究員を派遣。4年で8回来高して調査し、新たに明治から大正期の「琉球新報」「沖縄タイムス」「沖縄新聞」など8枚を見つけたという。地元教育者の新たな論考が分かるという収穫もあったそうで、担当者は「何より歴史の空白の一日が埋まったことが、大変ありがたい」と声を弾ませる。

 園が収蔵する牧野新聞の全体像は、まだ分かっていない。国内外の隠れた歴史の一端が眠っている、かもしれない。(福井里実、浜田悠伽)

高知のニュース 歴史 牧野富太郎

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