2022.01.17 08:36
元高知ユナイテッド、支援へ駆ける 県スポーツ課職員 塚本諒さん(30)高知市―ただ今修業中
サッカー選手から県庁マンに転身した塚本諒さん。びしっと着こなす背広姿に「けっこうジャージーの時も多いです」(県庁)
高知のサッカー界で「ちょっとは」知られた名前だ。高知大時代は、実藤友紀(J1横浜Fマリノス)らを擁して全国大会で3位に入ったチームで、1年生ながらスタメン。高知からJリーグ入りを目指す高知ユナイテッドSC(高知U)では2016年の発足時からのメンバーで、県勢クラブを初めてJFLに導いた昇格戦士の一人でもある。無尽蔵のスタミナでピッチを駆け回り、サポーターの心をつかんだ左サイドバックは、昨年から戦うフィールドを変えた。今の所属チームは高知県庁スポーツ課。今度は自分がサポーターとなり、高知のスポーツを全力で支援する。
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岐阜県出身。サッカーに出合ったのは保育園の時。ある日、先生がゴールとボールを持ってきて、サッカーというものがあると知った。そして布団に入る頃には、「自分はサッカーのプロになるんだ」と決めていた。「びびっと来たんです」。直感の男である。
二足のわらじを履いていた水泳では、小学2年までに200メートル個人メドレーを習得したというから、身体能力は高かった。高校は地元の強豪・帝京大可児高に進み、高知大へ。以降の活躍は前述の通りである。
そして訪れた選手引退の時。これからどうしようかと考えて、母校のコーチ▽高知に残る▽全然知らない場所へ旅立つ―の三つで悩んだ。
その時に思い浮かんだのはサッカー選手として過ごした計8年の高知生活。高知大時代にホームステイさせてくれた宿毛市の人がいて、高知Uを手弁当で手伝うおっちゃんたちがいた。
「高知に残って何かをやるのが一番ワクワクする。最後はその感覚を信じました」
直感の男である。
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サッカーに傾けていた情熱を「全ふり」して勉強し、合格した県庁。ただ、スポーツ関連の部署とはいえ、アスリートから公務員への転身は、畑違いどころか、農業と漁業ぐらいに勝手が違った。
「今までは自分が『やろう』と思った瞬間に始めていたけど、県庁では一つの提案でも、いろんな人に見てもらって、アドバイスをもらってからってなる。時間管理がうまくできずに間に合わなかった提案もあって、力不足を感じる毎日です」
なぜ企画書を書くのか、書類を作る根拠はどの条例なのかなど、県庁マンとしてのイロハを覚える日々。「同じ課の人がすごく仕事ができて、しかも優しいのでやっていけている」と苦笑いだ。
一方で、担当するジュニア選手育成事業「くろしおキッズ」にはやりがいを感じている。
好きな言葉
今も朝6時からジムに通い、週末は体験プログラムの現場へ。現役時代さながらの動きで指導をサポートする。
「高知の人には本当に助けてもらって、応援してもらった。今後は僕が恩返しをする番」。高知スポーツ界を駆ける。
写真・森本敦士
文・井上真一