2024年 04月27日(土)

現在
6時間後

こんにちはゲスト様

高知新聞PLUSの活用法

2021.10.01 08:40

コーヒーに恋して70年 高知市の喫茶「はと時計」南さん夫妻90代で現役、県内最古参

SHARE

コクの深いコーヒーをたてる南辰男さん。繁美さんと早朝から深夜まで切り盛りする(高知市南ノ丸町のはと時計=飯野浩和撮影)

コクの深いコーヒーをたてる南辰男さん。繁美さんと早朝から深夜まで切り盛りする(高知市南ノ丸町のはと時計=飯野浩和撮影)

 90歳を超えた今も朝から夜まで店に出て、熱いコーヒーを提供するご夫妻がいる。高知市南ノ丸町の喫茶店「はと時計」の店主、南辰男さん(94)と繁美さん(92)。旧中村市の有名店「ロマン」に始まり、コーヒーと歩んだ70年余の道。「喫茶王国・高知」の最古参だ。10月1日はコーヒーの日。

 「好きということに尽きる。コーヒーに恋して70年ですな」

 サイホンに入れたコーヒーの粉を混ぜながら辰男さん。その横で繁美さんは「あなた、私よりコーヒーを愛してるのと違う?」。

 旧中村市の荒物屋の長男に生まれた辰男さん。10代のころの世は戦意一色で、18歳で鹿児島海軍航空隊に入隊。予科練習生として地獄と隣り合わせた。

 鹿児島・出水市をB24が襲来し、滑走路を建造中の作業員が爆撃を浴び、手足のちぎれた100人以上が目前に転がった。台湾沖の航空戦に向かった100機以上は、一機たりとも戻らなかった。

昭和25年創業の「ロマン」(旧中村市京町)

昭和25年創業の「ロマン」(旧中村市京町)

 「特攻が決まると兵士は酒を飲み、錯乱状態でどんちゃん騒ぎをする。誰も死にとうないですよ。私は怖くて近づけなかった。文科系の大学生がたくさん集められましてね。監視されて。自由にものも言えません。ひどい時代でしたよ」

 終戦を知った時は「仲間と万歳をしました」。中村市に帰郷した後は日刊紙「高知日報」の記者として走り回る傍ら、コーヒーの味を覚えた。地元のミルクホールで初めて飲み、出張先の高知市では「プリンス」「プランタン」といった草分けの店に座った。

 1950年4月。繁美さんとの結婚を機に荒物屋を改装し、念願の喫茶店を開店。幡多地域で初の純喫茶は「ロマン」と命名。うどん20円の時代にコーヒー1杯30円。オープンから人気を集め、正月は列をなした。

 「コーヒーはあこがれの味で、人が集まるサロンでした。悲惨な戦争があって、みな文化に飢えていた」

 労働歌、反戦歌を歌う「うたごえ喫茶」やジャズ、クラシック喫茶も隆盛。喫茶店は徐々に増え、60年代が進むと県内で千に迫る店が軒を競った。

「はと時計」も長い歴史

「はと時計」も長い歴史

 「幡多地域ではトーストに砂糖を添えるんですが、誰が始めたのか、すぐ広まった」

 こだわり続けたのはコーヒーの作り方。取り寄せた5種の豆をブレンドし、1日寝かした水を使う。作業場にこもり、気に入る味を追求した。繁美さんは「お父さん、頭おかしくなったの?と思うくらい。本当に人生をかけていました」。

 70年に長女と長男が進学するのを機に、中村市の店をたたんで売り、盛大なお別れ会に送られて、家族で高知市に引っ越した。

 菜園場町に「ロマン」を開店。駐車場がないので北本町に移り、「はと時計」と名を変えた。長女の公子さん(現在は神戸市)が考案した黒パンのモーニングセットなどが人気を博した。

 平成に入ると一念発起で借金をして、広い店と駐車場の現在地に移ったものの、バブルがはじけ、金利返済に悩まされ続けた。

 店を任せていた長男の明男さんは昨春、病気で他界。夫妻は店に立つ気力すらなくしたが、常連客と、何十年と働く従業員に「閉めんとって」「続けましょう」と励まされ、奮い立った。「みなに押し上げてもらって、感謝いっぱいでやってます」と繁美さん。

 朝8時の開店から夜9時の閉店までカウンターの奥などで立ち働き、コーヒーをたてる辰男さん。料理は職人さんに任せるが、夜明けから仕込みや仕入れ、パン切りと忙しい。繁美さんも勘定台に笑顔で座る。 
 
 「創業70年」は高知県の喫茶店で最古。店舗数は人口比で全国1位(2016年調査)だが、人口減やコロナの猛打を浴びる高知県の業界に立ちゆく、レジェンドの店だ。

 「古いというのも、まんざら悪くないですな。よくここまでやってきたなあ」と辰男さん。コクのあるコーヒーは深い人生がブレンドされている。(石井研)

高知のニュース 四万十市 高知市 街ダネ グルメ

注目の記事

アクセスランキング

  • 24時間

  • 1週間

  • 1ヶ月