2021.10.01 08:40
コーヒーに恋して70年 高知市の喫茶「はと時計」南さん夫妻90代で現役、県内最古参
コクの深いコーヒーをたてる南辰男さん。繁美さんと早朝から深夜まで切り盛りする(高知市南ノ丸町のはと時計=飯野浩和撮影)
「好きということに尽きる。コーヒーに恋して70年ですな」
サイホンに入れたコーヒーの粉を混ぜながら辰男さん。その横で繁美さんは「あなた、私よりコーヒーを愛してるのと違う?」。
旧中村市の荒物屋の長男に生まれた辰男さん。10代のころの世は戦意一色で、18歳で鹿児島海軍航空隊に入隊。予科練習生として地獄と隣り合わせた。
鹿児島・出水市をB24が襲来し、滑走路を建造中の作業員が爆撃を浴び、手足のちぎれた100人以上が目前に転がった。台湾沖の航空戦に向かった100機以上は、一機たりとも戻らなかった。
昭和25年創業の「ロマン」(旧中村市京町)
終戦を知った時は「仲間と万歳をしました」。中村市に帰郷した後は日刊紙「高知日報」の記者として走り回る傍ら、コーヒーの味を覚えた。地元のミルクホールで初めて飲み、出張先の高知市では「プリンス」「プランタン」といった草分けの店に座った。
1950年4月。繁美さんとの結婚を機に荒物屋を改装し、念願の喫茶店を開店。幡多地域で初の純喫茶は「ロマン」と命名。うどん20円の時代にコーヒー1杯30円。オープンから人気を集め、正月は列をなした。
「コーヒーはあこがれの味で、人が集まるサロンでした。悲惨な戦争があって、みな文化に飢えていた」
労働歌、反戦歌を歌う「うたごえ喫茶」やジャズ、クラシック喫茶も隆盛。喫茶店は徐々に増え、60年代が進むと県内で千に迫る店が軒を競った。
「はと時計」も長い歴史
こだわり続けたのはコーヒーの作り方。取り寄せた5種の豆をブレンドし、1日寝かした水を使う。作業場にこもり、気に入る味を追求した。繁美さんは「お父さん、頭おかしくなったの?と思うくらい。本当に人生をかけていました」。
70年に長女と長男が進学するのを機に、中村市の店をたたんで売り、盛大なお別れ会に送られて、家族で高知市に引っ越した。
菜園場町に「ロマン」を開店。駐車場がないので北本町に移り、「はと時計」と名を変えた。長女の公子さん(現在は神戸市)が考案した黒パンのモーニングセットなどが人気を博した。
平成に入ると一念発起で借金をして、広い店と駐車場の現在地に移ったものの、バブルがはじけ、金利返済に悩まされ続けた。
店を任せていた長男の明男さんは昨春、病気で他界。夫妻は店に立つ気力すらなくしたが、常連客と、何十年と働く従業員に「閉めんとって」「続けましょう」と励まされ、奮い立った。「みなに押し上げてもらって、感謝いっぱいでやってます」と繁美さん。
朝8時の開店から夜9時の閉店までカウンターの奥などで立ち働き、コーヒーをたてる辰男さん。料理は職人さんに任せるが、夜明けから仕込みや仕入れ、パン切りと忙しい。繁美さんも勘定台に笑顔で座る。
「創業70年」は高知県の喫茶店で最古。店舗数は人口比で全国1位(2016年調査)だが、人口減やコロナの猛打を浴びる高知県の業界に立ちゆく、レジェンドの店だ。
「古いというのも、まんざら悪くないですな。よくここまでやってきたなあ」と辰男さん。コクのあるコーヒーは深い人生がブレンドされている。(石井研)