2007.12.03 08:00

『本城直季 おもちゃな高知』幸せは、じいのいすに

 四万十市の中心市街地
四万十市の中心市街地

 四万十市の中心市街地。“土佐の小京都”を自転車で走る。碁盤の目状に広がる街並み。肩を寄せ合うように並ぶ家々を横目に見ながら、ペダルをこぐスピードを少し緩める。玄関先でにぎやかに立ち話をするおばあさんたち。道端では、2匹のネコがじゃれ合いながら路地の奥に走り去っていく。
 
 ゆったりと流れる時を感じながら、商店街で自転車を止めた。赤や緑の装飾。店先には、年の瀬を知らせる「クリスマス」の文字が躍る。ふいに吹き抜ける北風。行き交う人々がどこか足早に過ぎていくように思えた。
 
 「こんにちは」。商店街の中にある1軒の寝具店を訪ねた。羽毛布団に毛布、クッションが並ぶ店の奥には、大きな背もたれ付きのいすがある。そこに座るのは初代店主、大田亘さん(78)。毎日、このいすに腰掛けて、店や街の風景を見つめている。
 
 「まあ、座ったや」。そう言って、亘さんが引き出しからごそごそと1冊の文集を取り出した。「何か書き残しとうて。ここに座ってちょこちょこ。商いの合間に書いたがよ」。A4用紙58ページ。亘さんが自身の半生を書きつづった一代記だった。その様子を見ていた妻の恵美子さん(71)が「何かにつけて書くのが好きな人。『街の文豪』って言われよるけん」といたずらっぽく笑った。
 
 1枚ずつページをめくる。同市天神橋生まれの天神橋育ち。太平洋戦争、南海大地震を経験した少年時代。20代前半には、花の都・東京にあこがれ、就職先を探して1人上京。叔母の家で居候生活をするも、都会の風は冷たくあえなく帰郷。「一花咲かせようと思ったけど、井の中のかわず。淡い夢やった」と亘さんは振り返る。
 
 その後、恵美子さんと結婚。第1子の出産の際には、陣痛が始まった恵美子さんをオートバイに乗せて病院へ。まきでお湯を沸かし、わが子の誕生を待ちわびた。赤子を胸に抱きしめた時、命の誕生の喜びを知った。手伝いに駆け付けた4人の飲み友達と隣の酒屋でシャンパンを買い、病院の廊下で乾杯。大騒ぎをして怒られたことも今では懐かしい思い出。「父親となったあの感激は今も心に残っちょう」と目を細めた。
 
 「明日食べるお米がないいう時も笑って暮らしてきた。『苦労したで』とよう言うけど、それは苦労やないと思うちょう。いろんな局面を体験したということ」と亘さんは言う。人生、楽しいことばかりではない。涙の日もある。苦しい時だってきっとある。しかし、家族の笑顔に支えられて、今がある。そんな思いが文集の一文字一文字にあふれているように思えた。
 
 「1番の幸せはここよ。ここ。じいのいす。ここに座っちょう時が1番」。そう言ってポンポンといすを叩(たた)いてみせる亘さん。「ごはんを食べたらすぐにここに座りにくるけんね」と恵美子さんがほほ笑む。文集の最後、亘さんが一首詠む。(横山仁美)
 
 店内の わが番台に 座するとき
   
 人生至福の 心なごめる

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