2002.02.11 08:30
土佐の果物語(25) 第4部(2)受粉 風に乗って数十キロ
高知県立牧野植物園にほど近い高知市五台山の中腹あたり。平成五年にスモモからヤマモモ栽培に切り替えた松村茂さん(66)の言葉に耳を疑った。
当たり前の話だが、ヤマモモの木にも雌雄がある。果実というものは、雌しべに雄しべの花粉が付かないとならないはず。雄木がないなんて…。こちらの顔色を見て松村さんが説明を続けてくれる。
「ヤマモモの雄木の花粉は数キロも飛ぶと言われているんです。おそらく街路樹の花粉がここまで飛んでくるんですね」
確かに約四キロ離れた国道55号沿いにはヤマモモの街路樹がある。まさか…と思うが、本当らしい。
ある果樹関係者はこうも言う。「風に乗って数十キロは飛ぶんじゃないですか。花も小さいですから」
ヤマモモの花は本当に小さくて、花と言われなければ気付かないほど。昭和二十九年三月には県花にもなっている。
その選定委員会の委員長が牧野富太郎博士だった。
「牧野富太郎博士からの手紙」(武井近三郎著・高知新聞社刊)にはこう載っている。
<日本植物友の会とNHKが各県の花を決めようと、全国から募集。高知県からはノジギクが出たが、兵庫県もノジギクを出しており、それが先に決定。東京大学の先生が『牧野先生、ヤマモモはどうですか?』と言ったところ、『そりゃあよかろう』と決まったようです>
その牧野博士、のちに出版された「郷土の花」のヤマモモの欄にこんな手書きのメモを残している。
「花 残念! 実があったら」
掲載されたのがヤマモモの花の写真だけだったことからこう書いたらしい。つまりヤマモモと言えば花より実。博士としては実も一緒に推薦していたつもりだったに違いない。