2016.05.16 07:30
奇跡の笑顔 全盲・重複障害を生きる(38)間に合った!奇跡です
重症児デイ「いっぽ」(高知市)の9月開設にギリギリ間に合った山崎理恵さん。お披露目直前の8月31日夕方、気持ちを聞くと、「うそのような気分です。『絶対、間に合う』とは信じていたけれど…。業者、スタッフ、皆さんのおかげ。奇跡です。でも、本番はこれから」と気を引き締めた。
確かに奇跡だった。1年前の8月末は連載第2部の「お便り特集」が終わって約40日。山崎さんと音十愛ちゃん(当時、県立盲学校小学部6年)の苦難の物語は反響を呼んでいたが、山崎さんはまだ、無職の貧困主婦状態。そこから事業家になったのだ。
筆者は最初、「無謀だ」とあきれていただけに、反省を込めて「まるで、さなぎがチョウへ大変身」と言うと、山崎さんは言った。
「昔、言われたことがあるんです。あなたは背中に羽がある。勇気を持って広げなさいって。その時はよく分からなかったけど」
8月半ばのラジオ番組の中では、「強くなれた理由」を聞かれ、山崎さんはこう語った。
「(人生の)扉が二つあったら、いつからか楽な方を選ばず、しんどい方を開けるようになったんです。すると、大変だけど、結果はすごくいい物を得られてきた。そんな経験を重ねてきたんです。どの道を選ぶかで出会う人も変わったし、結果も変わったのだと思います」
2年前、この新聞取材に応じる時も悩んでいたのだが、連載で追い風を得て、名古屋の「なければ創ればいい」と提唱する先駆者と出会い、やり遂げてしまった。
◇ ◇
9月1日の見学会初日、天気は抜群だった。午前9時前から花や贈り物が続々届き、スタッフが記念写真を撮っているうちに来客が始まった。福祉関係者だけでなく、いろんな人が祝福に駆け付けた。四万十町の夫婦からはお米が、香南市の男性はニラを大量に差し入れてくれた。
岡山県からは知り合いの映画監督が来て、「山崎さんは映画『ターミネーター』のサラ・コナー。未来の地球を救うために闘う、あのお母さんです」とわが事のように喜んだ。テレビ取材が入り、午後2時すぎからは始業式を終えた特別支援学校の仲間も来て大混雑。話の輪ができ、まるで同窓会。続く2日間も似たような状況だった。
そして4日のオープン。既に紹介した理由で利用者ゼロ。嵐が去ったような静けさの中で、山崎さんは振り返った。
「3カ月ぐらい休みなしだったんですけど、緊張していて疲れが分からないんです。でも、本当に楽しかった。子どもさんが来てくれるのが一番楽しい」
来客の表情をずっと気にしていたという。
「入った瞬間、そして中ですごされている時。リラックスしていただいていたので良かったなと。人は入った瞬間、自分の居場所のあるなしを無意識に判断するそうなんです。ここを使ってくれる親子にとって、くつろぎは一番大切。スタッフの対応ももちろんだけど、それを助けるハードも大事。おもてなしの心、そこに私はこだわったんです」