2024.04.22 08:00
小社会 核と米国
元の日本版が製作されたのは終戦の9年後。まだ広島、長崎の原爆の記憶も新しいこの年、米国の水爆実験で多くの日本の漁船が被ばくする。ビキニ事件である。ゴジラはこの実験で目覚める設定で、反核を強く意識した作品だった。
それが米国版ではゴジラが暴れる場面を生かしつつ、核の問題に触れたシーンはほぼカットされた。核実験が続けば「ゴジラの同類がまた、世界のどこかへ現れてくるかもしれない」。山根博士の悲痛な訴えも消された。
要するに単なるパニック映画にしてしまった。米国社会の核への意識の低さが分かる。そんな出来事から約70年。日本で上映中の米映画「オッペンハイマー」が話題になっている。原爆を開発した米国人科学者のその後の苦悩を描いた。
ドイツや日本との戦争を終わらせるために開発した原爆。旧ソ連に対抗して手にした水爆。だが1個の核兵器はやがて1万個、10万個の問題へと発展する。「われわれはそう考えるべきだった」とオッペンハイマーは生前、講演で語っている。
きょうは彼の生誕120年。その半生を映画にするようになったいまの米国社会なら、過去も省みることができるだろうか。狂気の核開発も、反核映画の改悪も。