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2024.04.13 19:55

高知ファイティングドッグスに来た大物たち~藤川球児さん、ドリス投手だけじゃない! 【WEB限定】

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 4月、元阪神タイガースでセーブ王に輝いたドリス投手が高知ファイティングドッグス(FD)に入団しました。思えば過去にも「予想外の大物」たちが入団した実績が…。当時の「狂騒曲」を振り返ってみました。(以下、敬称略)

■藤川球児「野球人生の再スタートは故郷で」

 「県出身のスーパースターの決断に県民誰もが驚き、歓迎の声が渦巻いた」。2015年6月2日付の高知新聞朝刊は、藤川球児のFD入りを、1面でも運動面でも社会面でも取り上げた。通算562試合で42勝25敗、220セーブ、防御率1.77の実績を引っさげて米大リーグ入りしたものの、カブスやレンジャーズに在籍した13年~15年シーズンで計1勝1敗2セーブ。右肘靱帯(じんたい)を断裂し、思うような成績は残せなかった。

国内復帰後、先発として初登板した藤川=中央=の下に集まる選手、コーチら(高知球場)

国内復帰後、先発として初登板した藤川=中央=の下に集まる選手、コーチら(高知球場)

 再起の地に選んだのは古里・高知。「僕も妻も高知出身。少しでも高知の良さを、(自分の)子どもに伝えたい」。国内復帰の舞台にFDを選んだ理由を笑顔で説明した。契約は登板する1試合ごとに結び、報酬は受け取らない。登板試合の入場料収入の10%が各地の児童養護施設に寄付される。県民は驚かされたり、感心させられたり。「必要と言ってくれるところがあれば、(NPB復帰の)可能性はあると思う」とも話した。

 高知での初登板は6月20日、高知球場で香川オリーブガイナーズ・徳島インディゴソックス連合チームが相手だった。観客は2865人。ネット裏にはNPBの球団スカウトやスポーツ紙記者が陣取った。第1球はストレート。大歓声が球場を包んだ。4回打者18人に57球を投げ、被安打5で1失点。2奪三振、1四球。「最後に勝って、喜びを分かち合えれば良かったが…。自分としては久しぶりの日本のマウンドの感触、ボールを投げる体のバランスを気にしながらやった。まだまだこれから良くなると思う」

香川OG戦で初完封(高知球場)

香川OG戦で初完封(高知球場)

 四国アイランドリーグplusでは9月7日の登板がラストとなった。公式戦6試合で2勝1敗、防御率0・82、奪三振47。FD退団時のインタビューで、高知の人たちに向けてこんな言葉を残している。

 もう「感謝」しかないです。人の温かみにも触れることができましたし、「地元のため」とかではなく、本当に「お世話になってる」としか思っていません。高知が好きだし、僕の生まれた絶対的な場所です。返せるものがあるとすれば野球選手としての顔。この先、どうなるか分からないけれど、何かに導かれて頑張れたり、世の中に対して貢献できるようになりたい。そして、ここに来て時間を過ごして意味があったんだって、思えるようになれたら。


■伊良部秀輝「とにかく結果出す」

 香川県の尽誠学園高から1988年にドラフト1位でロッテに入団した伊良部秀輝。94年に15勝で最多勝。95、96年には最優秀防御率。西武の清原和博とは名勝負を繰り広げた。97年にヤンキースに入団。大リーグ6年間で通算34勝35敗16セーブの成績を残し、2003年に阪神で日本球界に復帰。13勝で18年ぶりのリーグ優勝に貢献…。あらためて文字にすると大物ぶりが分かるというものだ。

初先発した伊良部は7回を投げ7安打3失点(高知球場)

初先発した伊良部は7回を投げ7安打3失点(高知球場)

 そんな伊良部がなぜFD入り? 入団会見ではこう答えている。「NPBに復帰するためにはスカウトに見てもらうことが必要。米国の独立リーグにいてもスカウトは来ないが、ILなら来るので」。伊良部はNPB復帰を目指していた。

 2009年8月23日、高知球場での初登板は、愛媛マンダリンパイレーツを相手に7回を7安打3失点。勝ち負けはつかなかった。ダブルヘッダー第1試合だったため試合開始は午前10時。おまけに、うだるような暑さだったが、1072人の観客が訪れた。試合後のサイン会には親子連れらが長蛇の列をつくった。フォークや変化球を多投する姿はかつての伊良部ではなかったが、貫禄(かんろく)とうまさが光るマウンドだった。同29日の長崎セインツ戦は5回を6安打5失点でまたも勝ち負けはつかず。FDでの登板はこの2試合のみだった。

球児たちに直接指導(日高村総合運動公園)

球児たちに直接指導(日高村総合運動公園)

 9月14日にFDが契約解除を発表。右手けんしょう炎で復帰が困難となり、本人から退団を申し出たという。2年後の7月28日高知新聞夕刊にはこんな見出しが載った。「伊良部元投手が死去 日米で活躍 自殺か 42歳」。FDの一員だったのは1カ月ほどだったが、炎天下の少年野球教室にも国道の清掃にも当然のように参加。真摯(しんし)に野球に取り組む姿勢はFDナインに大きな感銘を与えた。


■マニー・ラミレス「コウチ、サイコ~」

 後にも先にもこれほどの大物は現れないかもしれない。マニー・ラミレス。1993年、インディアンスでメジャーデビュー。首位打者、本塁打王、打点王を1度ずつ獲得。メジャー通算3割1分2厘、555本塁打、1831打点。2007年は松坂大輔らとともにワールドシリーズを制覇した。11年にメジャーを離れた後はマイナーや台湾リーグでプレーしていた。
 
ホームで初本塁打を放つマニー・ラミレス(高知球場)

ホームで初本塁打を放つマニー・ラミレス(高知球場)

 「日本でプレーすることが私の夢だった」「NPB(日本野球機構)を狙う」。2017年3月9日、高知市での入団会見でそう語った。FDでの登録名は「マニー」、背番号はドジャース、ホワイトソックスなどで用いた「99」だった。4月1日、開幕戦に出場すると3打数1安打2三振。ヒット直後はベース上でうれしそうに両手を突き出し、FDが6シーズンぶりの開幕戦白星を飾ると真っ先にベンチを飛び出してチームメートと抱き合ったり、ハイタッチしたり。この日の高知球場のムードは「お祭り」だった。

 前期18試合に出場し打率4割6分、本塁打3、打点20。ホームゲームの平均観客数は883人で、昨年同期の53%増。物販売り上げも436万円と4倍に。後期は5試合に出場し、17打数4安打2打点。8月中旬に「膝が痛い」と帰国し、そのまま契約満了となった。

高知城にも現れた

高知城にも現れた

 高知城や回転ずし店、カフェに現れたり、記者室にやってきて「自転車に乗りたい。貸してくれないか?」。試合前のマイクパフォーマンスは「コウチ、サイコ~」。自由奔放ぶりも見せつけたが、メジャー仕込みの打撃とチャンスでの勝負強さは高知の人々に強烈な印象を残した。

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