2024.02.19 08:38
亡き妻との思い出の地で走り「思いこみ上げた」石川県の黒川さん、写真とともに完走―高知龍馬マラソン2024
ゼッケン脇に妻の美恵子さんの写真を付けて走った黒川正道さん(高知市の春野競技場)
石川県野々市市の黒川正道さん(74)。五つ下の妻、美恵子さんとは正道さんが30歳の頃、上司の紹介で出会った。スポーツ好きで明るい性格に引かれ結婚。妻を「みみさん」と呼び、2女1男に恵まれた。
美恵子さんは51歳の時、職場の健康診断で肺がんが見つかった。手術したものの転移し、体調は次第に悪化。05年~06年には知人の勧めで土佐清水市の病院に入院した。
正道さんは2、3週間に1度、夜行バスや鉄道を乗り継いで、美恵子さんを見舞った。体調がいい時には2人で外出。ジョン万次郎資料館を見学したり、四万十川で川下りを楽しんだりした。
ただ、病状は改善せず、金沢市の病院に戻った。高知滞在の最後の日、高知城やはりまや橋を2人で見て回った。これが夫婦の最後の旅行になった。
美恵子さんは07年7月、53歳で息を引き取った。独りになった正道さんは、深い眠りに就けない日が続いた。毎日必ず午前2時と4時に目が覚めた。病床に伏す美恵子さんが、トイレに行きたがった時間だった。
「自分は仕事一筋の人間で、家庭のことは全部みみさんがやってくれていた。もっと何かしてやれたんじゃないかって、考え出すと眠れなかった」
そんな状況を知ってか知らずか、会社の同僚がランニングに誘い出してくれた。20~30分の短いものだったが、心地よい疲労感が残った。その日、これまで通り深夜に目が覚めたが、すぐに再び眠ることができた。以来、ランニングが趣味になった。
2006年2月、最後の夫婦旅行での一枚(黒川さん提供)
10年ほど前には四万十川沿いの100キロマラソンも走った。そして今回「もうすぐ後期高齢者。最後のチャンスかもしれない」。ずっと出たかったという龍馬マラソンに申し込んだ。
浦戸大橋のアップダウンは難なく超えたが、後半にペースダウン。足が止まりそうになった時には、胸に付けた美恵子さんの写真を触って気持ちをつなげた。
5時間39分19秒でゴールした直後、「フルマラソンでこんなに感動したのは初めて」と涙ぐんだ。
実は元日の能登半島地震で、長女家族が輪島市で被災。長女の義父は1週間ほど避難所で生活した後、体調を崩して亡くなった。
正道さんは「高知への懐かしさと、被災地への鎮魂、色んな思いがこみ上げた」と言葉を絞り、「みみさんが生きていたら、マラソンは始めてなかったし、高知に来ることもなかった。だから複雑ですけど、今はマラソンやってよかったって思います」。最後は笑顔で胸元の写真を見つめた。(新妻亮太)