2024.02.06 07:53
小社会 やなせさんの思い
2013年に亡くなった際の里中満智子さんの追悼文にある。葬儀で参列者から、「ありがとう」の言葉と拍手が湧いたというのもそれを裏付ける。
やなせさんは亡くなる2年半余り前、東日本大震災を目の当たりにする。90歳を超え、引退の準備をしていた時だった。自問自答する。被災者の役に立ちたい。一体どうすれば…。たどり着いたのが、引退をやめ「心に傷を負った子供たちを何とか元気づける」だった(本紙連載「オイドル絵っせい」)。
1993年、妻の暢(のぶ)さんを亡くした後、失意から立ち直らせてくれたのがアンパンマンなど幼児向けの仕事だったという。次は自分が子どもたちを支えたいと願ったのだろう。アンパンマン入りの激励ポスターを作ったり、歌を作ったりした。
ご存じ、アンパンマンは愛と勇気の象徴。震災時、被災地の子どもたちが自然と「アンパンマンのマーチ」を歌うようになった逸話は以前、本欄でも紹介した。こうした動きもやなせさんを奮い立たせたに違いない。
いまは天国で、能登半島地震の被災地に願いを込めているだろう。子どもたちに愛と勇気が届いてほしいと。やなせさんは1919年、いまの香美市香北町に生まれた。きょうがその誕生日。