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2023.11.18 08:00

小社会 生みの親なら

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 箕面有馬電気軌道(今の阪急電鉄)の宝塚線は1910年に開通してしばらく、「ミミズ電車」と呼ばれた。田んぼの中を走る様子からだという。

 経営を危ぶむ声もあったが、創業者の小林一三は沿線の宅地開発や駅直結の百貨店、ホテル経営などで需要を掘り起こした。鉄道経営のモデルと言われる手法である。

 失敗もあった。宝塚市の娯楽施設に設けた屋内プールは閑古鳥。当時の小林は温水を知らず「五分間も泳ぐことの出来ない」ほど冷たかったのが理由だった(著書「逸翁自叙伝」)。そのプール跡地を活用した劇場で宝塚歌劇団は生まれた。

 それから100年余り。厳格な規律や上下関係で知られる宝塚音楽学校で伝統的作法の見直しが話題になった。スポーツ界のハラスメント問題を意識し、先輩が利用する阪急電車への一礼や大声のあいさつなどを廃止した。

 ただ、それも中途半端だったようだ。劇団員が今年9月、急死した。遺族側は長時間労働や上級生のパワハラを訴えたが、歌劇団側はいじめの存在を認めようとはしなかった。華やかで一糸乱れぬ舞台とは裏腹に、伝統と保身でがんじがらめになっているようにも見える。

 歌劇団には発足当初、一部に「共学化」の動きもあったが、生みの親である小林はそれを退けた。男女間のトラブルなどから「生徒」を守るためだったという。それほど劇団員を大切にした小林なら、今の状況をどう見るだろう。

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