2023.09.27 08:00
小社会 土佐のまほろば
その看板が偽りでないことは史実が示す。紀貫之から長宗我部元親の時代まで、南国市北部は千年近く土佐の都だった。それだけ住みやすかったということだろう。元親が本拠を今の高知市に移さず、地元の岡豊城に執着していれば、ここが高知の中心で、今と全く違う県都になっていたかも…とは、歴史の妄想である。
当たり前だが、先人が重ねてきた行為の上に今があるという話。その意味で、根城の移転ほどのスケール感はないが、今の高知の姿に大きく影響しているのが、半世紀前に行われた市街化区域と調整区域の線引きだ。
開発するべき地域と、してはいけない地域を決めたこの作業は、高知市の事情が強く反映され、南国市などはがんじがらめに規制された。
おかげで農地は残り、無秩序な開発も抑えられたものの、まちづくりもどれだけ制約を受けてきたことか。災害に弱い高知市の自然条件を考えると、もう少し弾力的であってもよかった。
過日、この規制が徐々に見直されていると本紙に載っていた。だが、「すばらしい場所」に自由に居を構えられない現実はそのままだ。貫之公、元親公は何と言うか。過去は変えられないが、その歴史に学ばねば。