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2023.09.23 05:00

小社会 おはぎと戦争

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 幼い頃、郡部の父の生家に行くと、明治生まれの祖母がよく手作りのおはぎを出してくれた。姉や弟は喜んで食べたが、筆者は甘い物が苦手。どうしても食べられなかった。あれは祖母に悪いことをしたと今も後悔がある。

 おはぎは彼岸だけではなく、祝い事や季節の行事でもよく作られてきた。小豆の赤い色には生命力や魔よけといった特別な力があるとか。戦争に関する随想には、母が出征する息子に食べさせて送り出した話も少なくない。

 九州の西日本新聞社編「戦争とおはぎとグリンピース」に、1960年の紙面に載った福岡市の母親の投稿がある。戦時中、次男に召集令状が届く。出発の前夜。母は小豆と砂糖を手に入れ、おはぎを作った。「心配するな」と言う次男は「うまい、うまい」とパクついた。

 終戦後。南方からの帰国船が着くたびに母はいそいそとおはぎを胸に駆けつけ、むなしく抱えて帰った。やっと消息を知る人に会え、次男は特攻隊員として戦死したと聞いた。日本をたつ日も好物のおはぎが出たが、「さすがにあのときはのどを通らないようでした」。

 21世紀になっても戦火は絶えない。米国の新聞が先月報道した推計では、ロシア軍の死者は約12万人、ウクライナ軍約7万人。それぞれ帰りを待ちわびる家族がいたことを思う。

 きょうは彼岸の中日。甘味が苦手な子どもも年齢を重ねて味覚は広がった。今夜はおはぎを買って帰ろう。

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