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2023.09.12 07:47

南方熊楠から万太郎に植物標本届く 史実でも牧野富太郎と文通 けれど2人には微妙な距離も…【連載記事復刻】ライバル?南方熊楠

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大木の前に立つ南方熊楠(和歌山県田辺市の南方熊楠顕彰館所蔵)

大木の前に立つ南方熊楠(和歌山県田辺市の南方熊楠顕彰館所蔵)


 朝ドラ「らんまん」万太郎の元に荷物が届きました。紀州熊野の那智山から送られてきたもので、表書きに「新種在中」とありました。差出人の名は「南方熊楠(みなかた・くまぐす)」です。

 南方熊楠(1867〜1941年)は実在した同名の生物学者・民俗学者です。牧野富太郎博士とは手紙のやりとりはあったのですが、実際に2人が会うことはありませんでした。

南方熊楠(和歌山県田辺市の南方熊楠顕彰館所蔵)

南方熊楠(和歌山県田辺市の南方熊楠顕彰館所蔵)

 熊楠といえば博覧強記の学者として知られ、粘菌の研究にも力を注ぎました。和歌山県に生まれて、大英博物館の調査部員として働いた経験もあります。植物分類学者としての牧野に敬意を払っており、植物標本を送って鑑定を頼んだこともあります。

 一方の牧野も熊楠が大英博物館にいたり海外の研究雑誌に論文を発表したりしたことを知っていました。2人は尊敬し合いながらも、そこには微妙な距離があったと言われています。

 過去の連載記事を復刻しましたので、ご覧ください。

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『淋しいひまもない 生誕150年牧野富太郎を歩く』(47)ライバル?南方熊楠


 「マキノトミタロウ? 世界的な植物学者? 聞いたことないですね。南方熊楠(みなかたくまぐす)だったら知ってますけどねえ」

 宮城県仙台市で乗ったタクシーの運転手さんが言った。仙台は、牧野富太郎の人生を語るのに欠くことのできない土地だった。

 話は少し脇道にそれてしまうが、運転手さんが口にした南方熊楠(1867~1941年)と牧野の関係を記しておこう。

 生物学者であり民俗学者だった熊楠は和歌山県に生まれた。牧野の5歳年下でほぼ同時代を生きた。2人に共通するのは、博覧強記でありながら、関心ある分野を徹底的に追究していく姿勢だろう。牧野にとっては植物分類学であり、熊楠にとっては植物的性質と生物的性質を併せ持った変形菌「粘菌」の研究だった。

 牧野は、身分こそ助手や講師に甘んじていたが、東大というアカデミズムに属した。熊楠は組織に属さない在野の研究者を貫いた。共通項がありながらの生き方の違いといったものが、2人にライバル関係のようなものを生んだ。

 1924(大正13)年、2人が出会うチャンスがあった。牧野が熊楠の住んでいる和歌山県田辺市を植物採集のため訪れたのだ。同行者は、熊楠の家へ案内する、と言った。しかし、牧野は断った。

 〈其時(そのとき)の気持ちでは是(これ)は南方の方から出て来て私を迎ふべきものだと思った〉(文芸春秋1942年2月号での牧野の述懐)

 さらに牧野は書く。

 〈即(すなわ)ち其(そ)れは同君の存在を後世に伝ふべき大作巨篇(きょへん)が一も無かったからで(中略)実は同君は大なる文学者でこそあつたが決して大なる植物学者ではなかった〉(同)
     □
 妻、寿衛の身体の異変が明らかになっていくのは、練馬の東大泉に自宅を構えた翌年(1927年)からのことである。牧野自身の日記やメモなどから、寿衛に関する記述を抜粋して意訳する。

 1月17日「終日在宅。夜、五木田医師が来る。妻を診察して帰る」
 6月18日「妻入院(帝大病院)。大学病院に入院して、磐瀬博士の世話になる」
 7月12日「妻、大学病院を退院して帰宅」
     □
 この年、65歳の牧野は多忙を極めている。植物採集や講習会のため、ほとんど東京を留守にした。行き先は、茨城県つくば市、神戸市、栃木県那須町、長野市、大阪府の金剛山、静岡市、秋田県鹿角市、青森県八戸市…。それぞれ滞在は数日におよび、夜も採集した植物の整理に追われた。

 94年の生涯においておよそ40万点の植物標本を収集した牧野は全国の野山を精力的に歩いていた。その日常というものは、旅の連続であった。いや、もしかしたら「旅」という感覚はなかったか。日本の植物のある所、それは全て自分の庭である、と。
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 この年11月、札幌市でマキシモヴィッチ生誕百年祭が開かれた。牧野はこれに出席した帰途、仙台市に立ち寄った。この地には東大植物学教室での教え子だった岡田要之助がいた。牧野は岡田の家に泊まった。

 12月1日の朝は快晴だった。朝7時に起きた牧野は生ガキをたらふく食べてから、岡田らと植物採集に出た。目的は仙台市中心部にほど近い三居沢(さんきょざわ)という場所にあった珍しいササだった。

 そのササを見た牧野は、しばらく動かなくなった。
(2013年3月12日付、社会部・竹内一)

【こちらもどうぞ!】らんまん脚本家、長田育恵さんがドラマへの思いを語る音声コンテンツです。


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