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2023.08.20 08:00

小社会 変転

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 日本の「終戦」は果たしていつか、という議論は学者らの中にずっとあるようだ。一般には8月15日で定着している話だが…。

 ポツダム宣言の受諾方針を連合国側に知らせた8月10日を終戦とする意見、いや、御名御璽(ぎょめいぎょじ)の入った「終戦の詔書」の日付である14日だろう、という意見。いやいや、戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印した9月2日が実質的な戦争の終わり(米国の対日戦勝記念日)という強い主張もあるし、サンフランシスコ平和条約が発効して連合国の本土占領が終わった1952年4月28日、という意見まである。

 8月15日が節目の日となったのは戦後かなりたった1963年。今に至る戦没者追悼式をこの日にすると閣議決定した。玉音放送のあった日が落ち着く、降伏文書調印の日を節目とするのは屈辱的、ということでもあったらしい。

 終戦を阻もうと15日未明に青年将校らが起こした宮城事件。この時、反乱に同意せず殺害された近衛師団長、森赳(たけし)中将は高知の人だ。

 森中将が反乱に加担していたら。あの日の玉音放送はなく、内乱が起き…歴史の暦が大きく違った可能性はある。

 節目の日の政府の「不戦」の誓いが重さを失いだした。不戦が「負けない国」と同義になり、つまりそれは「勝てる国」になることです、と変転しつつある。今の「国民」は主権者として責任を負う。無謀で無責任な判断にまず従うほかなかった「臣民」と、そこは違う。

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