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2023.08.16 08:00

小社会 読み手の自由

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 この風景はなに? アイツらは何者だろう? 先日日曜日の本紙文芸欄に載った投稿詩に引き込まれた。作者は土佐市の滝本豊さん。

 〈空が白みだす アイツらが やって来る 何処(どこ)からともなく やって来る 次から 次へと やって来る おびただしい数で 空を覆い尽くす 狂ったように 舞い踊る 乱舞だ 空が赤らみだす アイツらが…何処かへともなく 去って行く…何もなかったように 静寂が訪れる そして 夏の夜明けが始まる〉

 未明の空を眺めている。要はそれだけ。主語はぼやかしてあり、アイツとは何か、一言も書かれていない。読み手はアイツの正体を考える。空を覆うのだから飛ぶものである。明るくなると去るのだから夜行性かもしれない。ああそうだ。考えが浮かぶと、スッキリして、誰かに伝えたくなる。

 言葉とは不思議なものだ。主人公を「アイツ」とするだけで、文字に吸い取られ、からめとられ、勝手な想像をたくましくする。アイツらは、おそらく雨の去るのを待ち、ひそかに狩りに出て、薄明かりに蚊柱を襲い、食欲を満たし、ねぐらへ帰るのであろう。「乱舞だ」の一行に、夏を見つめる心と生の躍動がある。

 選者の詩人、大家正志さんが書かれているように、詩をどう読むかは、読み手の胸の中にあり、要するに自由である。

 アイツらは「コウモリ」であろう。そういう心象で読んだ。大自然の中の、ああ幸福な乱舞だ。

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