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2023.07.25 08:29

伝説の子どもチームとは? 時代つなぐ子どもたち ひたむきに…―前へ!よさこい70年〈とっておき!よさこい余話〉

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よさこい祭り参加〝皆勤賞〟の上町よさこい鳴子連(2023年)

よさこい祭り参加〝皆勤賞〟の上町よさこい鳴子連(2023年)


 よさこい祭りには子どもの踊り子も多数参加し、大人顔負けの踊りとひたむきさで、観客のハートをきゅんきゅんさせてきた。高知新聞に残された子どもたちの写真とともに、子どもチームを振り返る。

第5回、愛宕のチームで腰の入った踊りを披露する9歳と11歳の女児。じんまとばんばに扮(ふん)した

第5回、愛宕のチームで腰の入った踊りを披露する9歳と11歳の女児。じんまとばんばに扮(ふん)した


-[[以降省略]]--
 よさこい祭振興会が出した60年史をめくると、1954年の第1回に「愛宕町子供組(13人)」の名が見える。翌55年には「中須賀東ノ町子供会」(21人)と「菜園場町子供組」(45人)が出場。子どもチームはほぼ毎年登場し、一般チームに交じって踊る子どもも少なくなかった。

第1回に登場した子ども。純信、お馬に扮しているようだ

第1回に登場した子ども。純信、お馬に扮しているようだ


 80年代に入ると、出場チームがぐんと増えて踊り子が1万人を突破。子どもチームも広がった。

サンリオもチームを出し、子どもが多く踊っていた(1997年)

サンリオもチームを出し、子どもが多く踊っていた(1997年)


 存在感を放ったのは、79年に出場を始めた「高知市子ども会連合会」だ。スポーツやボランティアを通じて健全育成に努める各子ども会の支援組織で、子どもたちは体操服と赤白帽で正調踊りを披露。衣装は後にオレンジ、ブルーと色鮮やかなものに変わった。

2019年の高知市子ども会連合会。80年代は超大型チームだった。体操服と赤白帽が追手筋を埋め尽くした光景が伝説のように語り継がれる

2019年の高知市子ども会連合会。80年代は超大型チームだった。体操服と赤白帽が追手筋を埋め尽くした光景が伝説のように語り継がれる


 連合会はよさこい史に伝説を残した。人数制限のなかった81年に史上最多の570人で出場。82、83年には800人を超えた。2002~21年に連合会代表を務めた元市職員の杉村高晴さん(73)は「地方車3台。追手筋を踊りきるのに1時間はかかったと聞いてます」。

 ただ、他チームの台頭や少子化もあり、参加する子どもは徐々に減少。近年は100人を切り、新型コロナ禍前の19年は約40人。

 「今はなんぼじゃち、かわいらしい衣装のとこがあるでしょ。チームの役目を果たしたのかな」。活動は同年限りで終えた。 

14年の「高須子ども会」。合言葉は「ハッピースマイル」

14年の「高須子ども会」。合言葉は「ハッピースマイル」


17年の旭地区の小中学生チーム「あさひ はっぴぃ ぼいす」。元気いっぱい

17年の旭地区の小中学生チーム「あさひ はっぴぃ ぼいす」。元気いっぱい


17年の「大津子ども会 よさこいなるこ踊り子隊」。エネルギッシュな踊りを披露

17年の「大津子ども会 よさこいなるこ踊り子隊」。エネルギッシュな踊りを披露


 「『小さい時に自分が踊ったから、子どもにもよさこいを踊らせたい』と。そんな親子のつながりで続けてこられた」と杉村さん。昔も今も、これから先も。きっと変わらない。(村瀬佐保)

◆連載「とっておき!よさこい余話」シリーズ◆
①〝御三家〟って?大賞の歴史
②商店街のライバル意識がすごい
③名クラブチームよ、いつまでも
④衣装トレンドを振り返る
⑤伝説の子どもチームとは?
⑥企業チームから見る高知経済
⑦南溟寮の練習に行ってみた

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