2023.07.20 08:00
小社会 フェニキア人の子孫
彼の干物工房を初めて訪ねる場面から。「遅なってごめん」とエモやん。「じき分かったかよ?」と浜村さん。港に立ち、語りにふける。当地は漁業が盛んで、地元中学をでる少年が乗り込む、遠洋マグロ船の基地だった。
「家計の事情で船に乗る。15歳で1年くらい帰ってこん。みんな涙流しながらズラーッと見送るわけ」と浜村さん。「そうかあー涙やな。俺らは野球できて、幸せやったな」「そうよ。ケツバットはやられたけど」
2人を擁した高知商。西の横綱とうたわれたが、不祥事で甲子園出場を絶たれた。その後は共にプロへと進み、エモやんは南海、阪神のエースとなる。浜村さんは西鉄から巨人へと渡り、長嶋茂雄さんの隣でショートを守ったが、不運な事故で小指を切断し、退団を余儀なくされた。
浜村さんは、ここからがすごい。勤め人暮らしを経て、入団テストに挑み、再びプロ選手に戻る。「小倉でコックしてるとき、江本ら来てくれたやんか。うれしかったよ俺」
1947年生まれの共に長身で、エモやんに至っては1・88メートル、手足も長く日本人離れした体躯(たいく)。「俺らは昔、海から上がってきたフェニキア人の子孫だ」とは、かの高知商校歌の詞を引く、エモやん得意のジョークである。海を背に軽く肩を組んだ。