2023.06.23 08:00
小社会 野球選手と戦争
1925年生まれ。この世代の野球選手には戦争の影がある。帝京商業学校時代は3年時に東京大会を制した。ところが甲子園大会は中止。「聖地」には縁がないまま卒業した。
44年末、陸軍に入隊。幸い戦闘は経験せず、中国・上海で終戦を迎えた。「戦争に行って(訓練で)手投げ弾を投げていたら強肩になった」。そんな語録が評伝記事にもあった。
ただ、戦中を語る口調は重かったという。兄の安佑(やすすけ)さんは中央大学の特待生。「お前は野球をやれ」と御下賜金の中から工面して野球道具の面倒を見てくれた。だが、特攻隊員として沖縄沖で戦死。「出来すぎの兄貴でした…」(邨野(むらの)継雄編著「昭和 天国と地獄」)。
戦火に散ったプロ野球選手は少なくない。中日の前身、名古屋軍で活躍した石丸進一投手の悲話が知られる。鹿児島県の鹿屋基地から特攻機で出撃する直前、同僚と10球ほど最後のキャッチボールをした。「これで思い残すことはない」。沖縄方面の空へ消えた。
プロ野球の熱戦が続き、県内でも夏の甲子園を目指す球音が響く日が近い。平和の尊さ…という思いに、今はウクライナの戦火がよぎる。きょうは沖縄慰霊の日。