2023.05.29 08:00
【裁判の記録廃棄】国民の財産と肝に銘じよ
1997年の神戸連続児童殺傷事件など重大少年事件の事件記録を裁判所が廃棄していた問題で、最高裁が調査報告書を公表した。記録の保存への信じがたい思慮不足が浮き彫りになった。
裁判で使われた事件記録は地・家裁が定められた期間、保存する決まりになっている。ただし、「社会の耳目を集めた事件」などは事実上の永久保存である「特別保存」が義務付けられている。
ところが、特別保存に相当する裁判の記録廃棄が各地で判明。その概要や経緯が今回の報告書で明らかになった。
神戸家裁が十数年前に廃棄したとみられる神戸連続児童殺傷事件の記録については、当時の所長が職員から廃棄の話をされたものの、自身が検討する立場にあるとは思わず判断を示さなかった。職員も特別保存を「例外中の例外」と捉え、現場判断で廃棄していたという。
あぜんとさせられるが、他にも保存すべき記録という認識がない、あるいは認識が薄いまま廃棄された例が目立つ。ルールが形骸化していたのは明らかだ。
報告書は憲法判断に関わる民事事件の記録廃棄についても調査しており、同じ傾向が見られる。
例えば、信教の自由が問われた1996年のオウム真理教に対する解散命令の裁判。報告書によると、東京地裁の職員が「事件の内容を問わず粛々と廃棄していた」。機械的に処分したということだろう。
こうした事態を生んだ背景の一つが、91年の最高裁による「特別保存記録の膨大化の防止策」の通知だった。全国の裁判所で保管場所が不足し、最高裁が事実上、特別保存を制限するかたちとなった。
本来であれば、適切な保存を指導し、保管場所も確保していくのが最高裁の役目である。ところが、最高裁自身が廃棄ありきの姿勢だったわけだ。
最高裁は報告書で「一連の問題は最高裁による不適切な対応に起因」すると認め、深く反省するとした。当然であり、二度と繰り返してはならない。
再発防止に向け、最高裁は規定の改正を進めるという。記録の国立公文書館への移管拡大を検討し、外部の意見を取り入れる常設の第三者委員会の設置なども掲げた。
何より求められるのは、記録やその保存に対する組織の意識改革である。政府の文書管理のあり方もたびたび問題になるが、行政であれ、議会であれ、裁判所であれ、業務で収集・作成された記録は「国民の共有財産」である。
恣意(しい)的あるいは安易な廃棄は許されない。後世に引き継ぐ責務がある。いま一度、それを肝に銘じるべきだ。