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2023.05.20 08:00

小社会 G7と原爆資料館

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 広島の原爆資料館の土台は、地元の地質学者、長岡省吾(1901~73年)が築いたとされる。被爆直後から原爆の爪痕が残る石や瓦を集め続け、55年の開館時に館長も務めた。

 長岡の歩みは、12代目館長の志賀賢治さん著「広島平和記念資料館は問いかける」に詳しい。被爆翌日、街の地獄絵図に放心していた彼は、座った石の溶け方で爆弾の特殊性を見抜き、いち早く調査の必要性に気づく。科学者の使命感が収集のきっかけだった。

 活動ぶりはすごかったようだ。変人扱いされても私財を投じて続け、「家族より瓦が大事」と言い放ったとも。突き動かしたのはやはり、原爆の恐ろしさを伝える責任だった。

 ただ、恐ろしさを伝える方法は一様でなく、資料館も長く模索が続いた。この間、悲惨な記憶を呼び戻す展示が疑われたことも。さまざまな経過の末、いま館は「死者一人一人との対話の場」(志賀さん)であろうとする。

 そうした思いは届いただろうか。先進7カ国(G7)首脳が初めてそろって館を視察した。きのこ雲の下であった被爆の実相。それに各首脳が接したのは歴史的に違いない。一方で、平和には核の抑止力が必要とする論を前に、核廃絶への道筋は険しいままだ。

 首脳らの館の滞在は約40分。7年前の米オバマ元大統領の10分よりは長かった。入館時に降っていた雨は出る時にはやんでいた。視察前と後で、何かが変わっていればよいのだが。

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