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2023.05.05 08:30

昭和天皇への御進講 「シン・マキノ伝」=第6部=【69】田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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牧野富太郎筆「陛下賜優詞」の写真(佐川町教育委員会蔵)

牧野富太郎筆「陛下賜優詞」の写真(佐川町教育委員会蔵)

 疎開から戻って大泉での暮らしが再スタートした。家に帰るときの様子は、牧野の次女、鶴代の話では、牧野はそれまで非常に弱っていてようやく大泉へたどり着いたが、「うれしさのあまり、大泉の駅を降りますと、うちまで父がさっさと先頭を切って帰って」きたという。牧野の貴重な本や標本は無事であった。昭和20年10月7日付の宮部金吾宛ての手紙には、自宅に残した蔵書について、それらが焼けることになれば大変なので疎開させるため苦労して「文部省を動かし鉄道局を動かし大活動の結果貨車が出る事になって荷作りを了(おわ)りサーという処で戦争がすんで」その荷物は貨車に積まず仕舞いであったと書かれる。東京でこの書物の疎開のために東奔西走して各方面の人々を訪問し懇請してくれたのが石井勇義であった。そのことは同月16日付の石井宛ての牧野の手紙から分かり、その熱い友情に「満腔の感謝」(全身全霊で表わした感謝の念)を捧げている。

 翌昭和21年5月には「牧野植物混混録」という牧野専用の雑誌を創刊した。また、同年8月17日から1日に1題を記して100日欠かさず続けたものを「随筆 植物一日一題」として刊行した(東洋書館、1953年)。東京植物同好会の活動もこの年に再開された。リヤカーに牧野先生を乗せて…

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