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2023.05.01 08:30

転落事故で背骨2カ所折る 「シン・マキノ伝」=第6部=【65】 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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石井勇義宛牧野富太郎筆手紙 個人蔵

石井勇義宛牧野富太郎筆手紙 個人蔵

 牧野富太郎が石井勇義に宛てた書簡類を石井のご家族が大切に持っておられる。250通以上はあり、単純に量だけを考えても2人の交流の深さが感じられる。内容は「実際園芸」や「牧野植物学全集」などの原稿や校正に関することが多く、学名などについての石井の質問に答えるものもある。また、旅先からの絵はがきもあり、小まめに行先や状況を石井に知らせていることが分かる。62回目の記事で述べたように、昭和10年8月の立山登頂に成功した感激を伝える絵はがきを石井にも送っている。ここでは、昭和15年11月に起きた豊前犬ヶ岳(福岡県と大分県の県境)の転落事故を伝える手紙が複数残されているので、それらから事故の全容に迫ってみたい。

 まずは、昭和15年10月29日付の石井宛ての手紙に、広島文理科大学の講義・実習が首尾よく終わったので、31日から大分へ向かうと書かれる。そして、そこでの予定として、まずは梅の自生地に行き、大分県教育会主催の採集会に参加して、筑後の秋月町(現福岡県朝倉市)に行き古処山の黄楊純林を見て、筑前のある海辺でダルマギクを採集して、大分に戻り別府から船で大阪に行くことが示された。さらに京都、奈良へ行き、東京に戻るのは11月15日以降になるであろうということであった。

 次に、同年11月28日付の石井宛ての手紙に、犬ヶ岳で13日にけがをしたことが記される。痛みが激しく立つこともできず…

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